都内在住40代独身女性ならではの、オタ活&仕事のストレス&アンチエイジングのことなど

幼馴染だった男前で憧れの女の子の思い出

「花に染む」のことをずっと考えていて、自分の幼馴染のことまで思い出し始めてきました。

幼少期は社宅育ちで、同じ歳の女の子クミちゃんと幼稚園児の頃からずっと仲良くしていたんです。

クミちゃんは明るい茶色のくせっ毛を長くしていて、顔が可愛くて、明るくて、頭も運動神経が良くて、皆んなから好かれる存在でした。

幼稚園児の女の子って、仲良しグループを作ったり、ワザと仲間はずれにして虐めたり、をする子が既にいるものですが、私がそういう仲間はずれに合ってもクミちゃんが笑顔で迎え入れてくれていたのを覚えています。

小学校に入学後はクミちゃんとクラスが離れ、クラスメイトに嫌われて休日に皆んなで遊びに行くときに誘ってもらえなかったことを覚えています。

親がそれを知って、どういう経緯だったのか、私はその話を聞かされていたのか確認されて、それがすごく恥ずかしくて悲しくて嫌だったなぁ。

それでも放課後はクミちゃんと遊んでいて、クミちゃんと同じクラスの子が私に嫉妬心むき出しな態度を取っていました。

そういう時でも、クミちゃんはわざと私を仲間外れにする対象にはしなかった気がします。

小学校低学年までとても仲良くしていたけど、私たちは悪いことをしでかして、そこから距離が出来て遊ばなくなり、その後引っ越していってしまいました。

会うと親と兄にめちゃくちゃ怒られたことを思い出して、話せなくなっていました。

その悪いことというのは、お互いの家のお金を持ち出して、オモチャを買って散財したというものです…

で、記憶が確かなものか分からないのですが、多分最後に文房具屋さんで見かけて、その時私が欲しいけど高くて買えなかった袋を、クミちゃんが送別の品として渡してくれた、と思います。

いやもう、そうして欲しかったという願望が作った記憶か、実際にあったことか定かでは無いのですが、もし本当にあったことなら…

クミちゃん、男前過ぎるだろ…!

幼稚園児の頃に私は私で付き合っていた?男の子はいましたが、でも小学生になったら照れで話さなくなり、恋愛とかに興味を持ち始めた小学年時に遊びでクミちゃんとキスをした気もするんですよね。

以降クミちゃんと会っていませんが、親同士が同じ会社だったため、成人後の話も噂として聞いてはいます。

スポーツ万能だっただけあり、体育系の学校に進学し、スポーツインストラクターになったと聞きました。

多分会おうと思えば、親経由で連絡先を聞いて会えたかもしれないけど、当時はまだ若かったしそこまで思い出を振り返って取り戻してみたいとまでは思わなかったのかな。


と、クミちゃんのことだけ思い出すと色々あったけど、当時は周囲に子供がいっぱいいたので、男2人女2人の4人組で遊ぶ、とか、年上とか年下の子も混ぜて遊ぶ、とか色々ありました。

あまり学校のクラスメイトとはうまくいかなくて、仲間はずれにされた記憶は小中高とあるけれど、もしずっとクミちゃんと仲良くしていたから今の自分とは違っていたのかなぁ、とも思います。

ある意味クミちゃんは私のヒーローで、彼女がいなくなってからはそういう存在を求めてもいない、あんなに優しく寄り添ってくれる子はいなかったのに求めていたのが、中々人間関係が上手くいかなかったベースにある、かも…?

今1番連絡を取っている友人も、思い返すとクミちゃんタイプです。

歳の離れた兄に甘やかされて育った末っ子の私は、未だにその根性が抜けていません。

思い返すとクミちゃんも兄が2人いる末っ子の女の子だったから、甘えたさんに育っていたかもしれないのに、それよりもお兄ちゃん達みたいに振る舞いたい子だったのかもしれませんね。

今の友人は歳の離れた妹がいるけど、高校までは男らしいタイプでした。

この歳になって、もう昔の友人はほとんど残っていませんが、地元の友達とずーっと繋がり続けている人も世の中にはいて、それはそれで羨ましいなぁと思います。

特にある一定の年齢以降は、「ここまでは新しい友達とも共有するけど、この先は地元の友達だけ」という線引きをする人もいるし。

幼馴染の男の子達とずっと仲良くしていたら、また人生観が変わっていたのかなぁ。

成人式の後に1人の男の子とは再会したけど、その時幼名のまま「◯ちゃん」と下の名前にちゃん付けしたら

「その呼び方はもう止めてくれよ」

と言われたのは覚えています。

何だよ大人ぶってーと笑いました。

そういえば昔、「天然コケッコー」並の田舎出身の友達が同窓会で再会した幼馴染の男の子と寝て、その後も付き合う訳ではなく相手が上京した時に寝たけど、それだけのまましばらくして相手は他の人と結婚したって聞いたことあったなぁ。

私には全く分からない感覚でした。

「付き合ってもいないのにー」とかは言えない人生を送って来たので分かるけど、子供の頃から知ってて家族も知ってる相手とは、私は恋愛感情なきゃ気持ち悪くて無理だ…
この年齢になって「幼馴染」というキーワードについて考えるのは、何だか不思議な感じがします。

「花に染む」を読み返したり、わしゃがなTVで時々中村悠一が幼馴染の話をしていなければ、普段は意識しなかったかも。

特に私は転勤族だったので、生まれ育った場所はずっと住む場所では無いと分かって育っていたし。

1番古い小学生からの友人も、彼女がアラフォーで結婚して出産したら、全ての話が子供子供になっていて、そして勝手に同窓会企画があると聞いたから、と私の住所を幹事に渡してしまっていたので、距離を置いてしまいました…

平日の夕方に「自分は子供いるからいけるか分からないけど、そっちは東京から来られるでしょ?」と思い込んでいることにビックリしたんですが、これは中村悠一も

「親経由で数日後の同窓会の連絡が来て、流石に無理だと断った。

田舎の人は会おうと思えばすぐ会えるものって感覚なんだよね」


と言っていたのを聞いて腑に落ちましたが。

私の場合はもう実家もその土地に無いのに、東京から飲み会行っても平気な身、と思う想像力の無さと、個人情報への危機管理能力の無さに嫌気がさしちゃったのよねぇ…

もちろん、同窓会で会いたい人がいない、が1番の理由でしたが。

もしそこにクミちゃんがいたら、参加することもあったのかなぁ。

クミちゃんは同級生の幼馴染というより、親同士が同じ会社で、同じ社宅に住んでいたからこその特別感があったのかもしれません。

もちろん子供の頃はよく分かっていなかったけど。

幼馴染の男子とかも、もう会いたいという気持ちは無いかなぁ。

クミちゃんは、話さなくなってしまった後に転校してしまった、ということで、より思い出が美化されていて、それを壊したく無い気持ちがあります。


初恋とは違う、大好きな大好きな幼馴染の女の子で、憧れの人でした。

一緒に野良犬を拾ってきて皆んなで育てたりしたなぁ。

結局大人達に見つかって、その子犬は小さい頃に遊んでもらっていた社宅内に昔いたお姉さんが、結婚した新居で引き取ってくれたこともありました。

その後その犬は子供を産み、私が高校生くらいの頃はその拾った子は亡くなってたけど、子供の方を飼い続けてるって聞いたっけ。

そのお姉さんの部屋には「なめ猫」のグッズが貼られていたことは覚えています。

子供の頃を思い出すと、良い話も嫌な話も色々思い出し、嫌な記憶に引っ張られてしまうこともある。

けど、そういう中ではクミちゃんとの悪さをするまでの思い出は、何だかキラキラしているように思えます。

Facebookとかでフルネームを探して見つけることも出来なかったけど、もし見つかっていたら、それとも親に連絡先を聞いていたら…

いや、やっぱりもう、会わないかな。(ちなみに今1番会ってる友人とはFacebookで再会しました)

と、ここまで書いた時点で一旦保存し、数日置いてからこの1番会っている友人と飲みに出掛けたので、ここまで書いてきたのと同じ話をしてみました。

友人は「私はそんな、男らしいタイプじゃないよ」と言っていて、そこからお互いの幼少期の話をしたりしましたが、年齢とか色々あるかもしれないけど、やはり何だかこう…酔いもあるかもしれないけど、マウンティングを取るようなことも言われて、女同士の友情の難しさを実感しています…

例えば、私は友人が英語を話すところを聞いたことが無く、私は友人の前で英語と日本語が混ざった発音で最近の英語勉強の話をしていると

「私は外国人の友達もいっぱいいるし、発音はあなたと違って得意だからーあなたは下手だよね」

とか言ってきて、「え、お互い全力で英語を話すところを見せ合っていないのに、なんでマウント取るの?」と微妙な空気になりました…

多分、子供の頃もこういうマウンティングはあったけど、それは不仲な相手にすること、だったかなぁ。

この友人とも出会ったのは学生時代で、そこから再会までかなり時間を置いた関係ではありますが、褒め合ったりマウンティング取り合ったり、色々あります。

お互い未だ独身とは言え、友人はかなりの美人(元モデル)のため、いつでも彼女が望めば結婚しそうに思うのですが、あまり恋愛について語りたがりません。

元彼のことも、再会してしばらくしてから聞き、その後会って飲んだら友人に暴力を振るっていて驚き、その後しばらくしてから共通の知人から別れたことを聞きました。

子供の頃の幼馴染のクミちゃんと、今のこの友人を比較するのもおかしな話だと思います。

ただ、「あぁ、無邪気な子供の頃の幼馴染と、この年齢の女友達の関係は違うし、育ってきた環境や価値観の差が如実に出るなぁ」と思いました。

友人に「もし結婚式をするなら、私のことを呼んでくれる?」と聞いたら

「相手のタイプにもよるけど、出来れば身内だけでひっそりやりたい」

と言われたので

「そう言ってた友達が過去に何人かいたけど、後で聞いたら親族と地元の友達数人呼んでて、あー私は身内カウントに入ってないんだなって思ったなぁ」

と酔っ払いながら話しました。

友人から「じゃあ、そっちは自分が式をするなら私を呼ぶ?」と聞かれたので

「呼ぶよ、他に呼ぶ友達いないし」

と答えたのですが、確かにもしそんな機会があれば呼ぶけれど、他に呼ぶ友達が1人もいないかと言えば…数人は声をかけたいですね。

ただ「もしそうなったら…旦那さんには『面倒くさいところがある子ですが、耐えて下さい。そして、もし耐えられないと思うことがあっても、繊細なところがある子なんで、直接本人にぶつける前に、一旦私に話してワンクッション置いて下さい。私から上手く伝えますんで』って言って、あなたの幸せにするよう全力で頼むわ」と友人が言ってくれて、笑いました。

大人の女友達は、シンプルさと複雑さが混ざっていますね。

狭い世界の限られた中で過ごした幼少期と今では、良い面も悪い面も友人間にはあり、そしてお世辞やマウンティングや本音が混ざり合うという違いがあります。

もしクミちゃんとずっと付き合いが続いていても、きっと恋愛や進学や仕事や結婚や出産などで、お互いに子供の時と違う神経の使い方が出て来たんだろうなぁ。

今はもう、そういうことも含めて「友達」について考える年齢、を越えています。

だからこそ、幼馴染という存在がキラキラして思えました。

世の中には幼馴染とずーっと、何十年経っても近くに住んで親しくしている人達もいるのでしょう。

ただ私の周囲では、上京しているせいもあってか、ほぼ聞きません。

そもそも幼馴染という言葉自体、全然聞かないかなぁ。

そう思うと、幼馴染ってキーワードは貴重で素敵なものであり、そして脆くも思えてきました。

狭い世界の中で、ただただ一緒に過ごして優しくし合う関係って、大人から見たら憧れの世界ですね。

そんな時間を幼少期にくれたクミちゃんに、今更ながら感謝しています。
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