かつて山形県には独自の天皇(服部敬雄)がいたってマジ!?
「かつて山形県には独自の天皇がいて、フジテレビ系列のテレビが観られない時期があった」
という話を見かけました。
え?どういうこと?と思ってググったら、すぐに
服部敬雄(はっとり よしお)別名、服部天皇、山形の首領(ドン)
1899年(明治32年)12月10日ー1991年(平成3年)3月14日
報道の自由と責任
と出てきました。
私は山形県には縁が無いので全然知らなかったのですが、山形県内のメディアに強い影響力があった人で、この服部氏が亡くなった直後にテレビ局の系列が変わり、フジテレビ系列のテレビが放送されなくなった時期があったそうです。
それまで放送されていたドラマが急に最終回になったりしたとか…
また、存命中はコンビニやファストフード店が進出出来なかったので、死後に立て続けにチェーン店がオープンしたとか…
県境を勝手に動かしたとか…
ユニコーンのこのアルバムは服部氏を揶揄したものだったため、発売直後に買い占められたという噂も…
服部
また、山形花笠まつりは服部氏が発案したものと言われているそうです。
いやーググッていると色んな逸話が出てきて、スゴイ!
私の中では、山形県はさくらんぼと出羽桜と、あとは3月のライオンで出てきた将棋の町がある、という穏やかな場所というイメージでした。
ふるさと納税で頼んだ山形のさくらんぼ、美味しかったです。
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こういう県を牛耳る人がいるって、ドラマとかではあるけど、実際にいたんですね!?
結構山形県内の人も困惑していた状況だったそうで、だからこそなのか悪い噂もガンガンに出回っているようです。
しかし「忍者ハットリくん」を名前が気に入らないからと放送させなかったってのは、ホント?それはさすがに…
ちなみにこの服部氏の邸宅跡は、現在は県に寄贈され、山形県生涯学習センターの分館となっているそうです。
庭はホテルオークラなどの庭園を作庭した岩城亘太郎が作ったもので、とても見応えがあるのだとか。
●山形県緑町庭園文化学習施設「洗心庵」
●庭園のご紹介
〒990-0041 山形県山形市緑町1丁目4番28号
写真や地図を見ると、すごい!
こんな庭がある家に住んでるのなんて、ドラマの中では悪役政治家くらいですよ?
でも佐賀県は今でもテレビはNHK佐賀放送局とフジテレビ系列のサガテレビの2局しか放送してないしな…
伊万里の祖父の家ではケーブルテレビの契約をして、他チャンネルも観られるようにしています。
これは山が多くて電波が悪いからだそうですが、東京に住んでると意味がわからないですよね…。
こういう地方メディアに圧力をかける権力者って、今もいるんですかね?
似たような話では、田中角栄が東京の目白邸から新潟の実家まで帰るために高速道を作ったから、
目白から実家まで2回右左折するだけで良いようにルートを作った
って都市伝説が、本当だったって、月曜から夜ふかしで検証してましたね。
これは群馬県民は高速が出来たこと自体喜んでいるので、全く批判してませんでした。
高速が出来たところに畑を持っていた人は、土地を売ってすごく儲かったらしくて、大きな家を建てたりしてたなぁ。
ちょうど建設地からズレてしまっていた人は悔しかったらしい。
服部氏に関しても、こういう人がいたからこそ県が力を持てた、という説もあるそうです。
しかし、たまたまTwitterで見かけるまで、山形県にそんな歴史があったなんて知らなかったなぁ。
フジテレビ系列が放送されなかった時期って、25年前くらいってことですよね?
すごく昔に感じるけど、東京ラブストーリーとかやってる頃ってことでしょ?
フジテレビのトレンディドラマが絶大な人気を誇っていた時期に、放送されなかったってヒドイ…
当時どんな風だったのか、ちょっと山形県出身の方に機会があったら聞いてみたいです!
よろしければこちらもどうぞ!
↓
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トラウマとなっているよね服部天皇被支配の時代
始めまして。遠い佐賀県の方(?ですよね)が当地の「黒歴史」に関心をお持ちだとはびっくりしましたが・・・。
今若い人たちに服部天皇といっても「?」状態だし、私と同世代の歳の人にきけば「懐かしいね・・・そういえばそういう人、居たっけね・・・。」という状態です。服部氏が死去してから四半世紀が過ぎました。しかし今以て服部氏が支配していた時代を思い出したくないとして服部氏のことを口に出す事はタブーとされているようです。公園にあった服部氏の胸像がいつの間にか撤去されていたり・・・それだけあの暗黒時代を生きた人たちにとって「思い出したくないこと」として大きなトラウマとなっているようですね。
服部氏の支配は1960年代初めから始まり、1980年代後半に急速にその支配力を失いました。つまり暗黒時代は実質四半世紀だったということです。その間県内マスコミ各社から政界も支配し、市や県の予算にも影響力を行使していました。また地元警察や地元やくざ組織にも影響力を有していたといわれています。そんなわけで私は物心ついた頃からこの町で生きていくには服部という人物に対する一切の批判と疑念はタブーだということを悟りました。その一方で一歩隣県の仙台などにいくと、服部氏支配から離れており、ある種の解放感や風通しのよさを感じたものです。
中学の頃、上級生に不良がいて、その背後にやくざが居ることがわかりました。さらにそのやくざの背後にも服部天皇があることがうすうすかんじられたものです。警察もやくざもその町では服部天皇の支配下だ・・・。
にしても私が大人になったころには服部支配末期で猫も杓子も服部批判の大合唱でした。そんななか、服部のグループ企業は次々と新規事業を起してはことごとく失敗していきました。このころになると今までシャットアウトされていた県外資本も次々と入ってきて、街の雰囲気にも新しい風が吹き始めていました。そして服部氏が死去すると駅を降りてまず感じた事はこの町を漂う空気もまったく変わっていました。
いずれにしても私の世代では「服部天皇」というはまだ自由気ままだった若い時代を思い出させる事が多いですね。
「服部天皇、懐かしい・・・そういえばそんな人、居たっけね。あの頃みんなでドライブに行ったじゃん。」
「○○くんはパン職人になるって弟子入りしたんだよね。」
などというふうにです。