長野まゆみ「兄と弟、あるいは書物と燃える石」ネタバレ感想〜BLではないミステリー風双子の謎

2022年10月05日
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図書館で「左近の桜」シリーズを借りると共に、まだ読んでいなかった「兄と弟、あるいは書物と燃える石」も借りてみました。


兄と弟、あるいは書物と燃える石

正直に言えば、長野まゆみの著作ならば「兄と弟」の間か、それ以外の男性が出てくるBL的な展開を期待したのです。

が、一応男性同士の恋人、という設定の2人は出てきましたが、それはこの作品内ではあまり大きな意味はありませんでした。

今まで通りの長野まゆみの作品を期待していた人のレビューを読むと、あまり反応が良くないものもありますね…

私としては、最後まで何がどうなっているのか設定がよく分からず、また数ページずつ区切られて場面展開していくため、ミステリー感覚で一気に読み終えました。

ラストにポンッと答えを出しているような、いないような終わり方をしているところは、長野まゆみっぽいかもなと思いました。

一言でまとめれば「劇中劇」に近い構成となっています。

●売れっ子作家の清三五(すがさんご)の書いた双子の男性(実際には二重人格)、祐介と計一が出てくる小説と実写化ドラマの話。

●清の小説で名前を使われた編集者の祐介と弟の計一、祐介の妻サラと娘のユリアの話。


これを俯瞰した形で「私」が「手記」として書いている設定なのですが…

冒頭で「私」がご婦人方から矢継ぎ早にこの小説やドラマを鵜呑みにした噂話を聞かされる、というところから始まるため、読み出した時には「実際にあった事件に纏わる話なのかな?」という気にさせられました。

清が男性カメラマンと付き合っている、というところは長野まゆみらしいBL設定となっています。

ページをめくる度に、少しずつ違和感が出てきて、そしてそれが何故なのか種明かしされていく…

こういうミステリーっぽい構成は、確かに長野まゆみにしては少し珍しいかもしれませんね。

思い返せばそういう演出は過去にもありましたが、そこには「相手の気持ち」等の本音が隠されていたりしていた気がします。

今回はそういうことではありませんでした。

端的に言って、「面白かったか?つまらなかったか?」と聞かれたら「一度読む分には、面白かった」と言えます。

が、ここで私のネタバレ感想を読んでしまったら、もうその楽しみは半減以下になるでしょう。

それ以外の楽しみ方と言えば、清の小説で使われた紙、サラが子供の頃にイタリアで聞いた童話、というような、長野まゆみらしい世界観の説明を味わうことが出来るってところかな。

私は本当に、「これは長野まゆみの本だし」という先入観に引っかかってしまっていて、「思っていた展開と違う!?」となりました…
物語の中で少しずつ、事実のように時系列として書かれていたことに対して「実は違う」という否定が入っていきます。

例えば、兄の祐介は生きているかのように話が進んでいたのに、「実はもう祐介は亡くなっている」と出てきたり。

ユリアの兄のリヒトから計一にメールが届いた、という話だったのに「実はリヒトは存在しない」と出てきたり。

その上で途中から「これは私の手記だ」という告白?も出てきて、一人称で綴られているこの話は全て誰かが登場人物たちを俯瞰して見て書いている本だと分かるのです。

とは言えラストの解釈は、人によって少し変わる可能性があります。

私の解釈では、この著者とされているのは「精神科カウンセラー兼作家の清三五」

物語の後半で、清の本の翻訳担当者だったサラは実はシングルマザーで、事故にあって小説と現実の区別がつかなくなり、本当に自分には祐介という夫がいて亡くなった、彼には計一という双子の弟がいた、と思い込むようになり、カウンセリングを受けて治療中だと分かります。

そしてユリアの面倒を見ていた計一は、実は清の編集者の祐介がサラに合わせて計一のフリをしているだけだ、とも分かります。

一番最後に、本を書き上げた「私」の元に祐介が原稿を取りにくるはずが、ドア前にいるのは服装からして計一だ、と分かると共に、「計一は私の患者だ」と書かれて終わるのです。

但し、清がカウンセラー兼作家なのか、あくまでも「私」は清とは別人のカウンセラー兼作家なのか、は分かりませんでした。

何故なら清にはゴーストライターが複数いる疑惑もあったからです。

更に清が飼っているのは猫なのに、「私」が飼っているのは犬。

それでも「清は身近な人物の名前を作中に使う」となるのであれば、祐介も計一も身近にいる人物が「清」になるはず。

彼らのことを一番良く知っているのは「私」となるのであれば、「私」がカウンセラーなのは確実なんですよね…

更に仄めかしのように、「祐介は独身で、清に対しては素っ気ない。その理由は書かない」とされていて、まるで清と編集者の祐介の間には過去に恋愛的なものがあったかのようにも読み取れるのですが…

でも本当に、これをミステリーとして謎解き感覚で読むのか、世界観を味わって終えるのか、で考え方も変わるかも?

煙に巻かれたような感じを楽しむ、というのもアリですしね。

個人的には…サラが語ったイタリアの物語、燃えない本…とか、幻想的な感じの話の内容が、そこまで魅力的には感じませんでした。

そもそも最近の長野まゆみの作品レビューを読むと「前の方が良かった」という人たちがいて、でもそれにどこまで共感するかは人それぞれだと思います。

例えば私は今のくらもちふさこの作品が好きだけど、昔の作品だけが好きって人もいますし。

ただ、私はタイトルで妄想していたような、ちょっと妖しい双子の兄弟の話を期待してしまっていたので、肩透かしを食らった気持ちです。

まぁ…エッセイ風のものも書いたり、BLじゃない作品も長野まゆみは書いているから、その時々の作品をどう思うか?次第なのかな。

私は最初に読み始めていた頃の寓話的な作品は、ちょっと詩的過ぎて高校生の頃はピンとこなかったけど、今読めばまた違うかもしれません。

「左近の桜」を久々に読み返してみたら、結構話を忘れていることに気付いて驚きました。

なので、まだ自宅の本棚に残してある単行本もまた読み返してみて、感想を今更ながらに書き残しておこうかなぁとも思います。

もう今さら…一緒に長野まゆみの作品について語り合える友達もいないので…ね…
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