くらもちふさこ作品と朝ドラ #半分、青い。 の引用部分と良さを再認識
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リアタイでそれなりに楽しんで観ていた割に、SNSの評判がめちゃくちゃ悪かった朝ドラ「半分、青い。」が、Netflixで観られると分かって一気観しました。
このドラマで中村倫也の存在を知ったので、以前彼の出演シーンだけNHKオンデマンドで観返したりもしていたのですが、今回の視聴目的は最近また夢中になっている「くらもちふさこ作品が観たい」でした。
リアタイ時にも劇中に出てくるマンガは読了していたのですが、今になって「花に染む」を再読したら良さが分かり、改めて照らし合わせたくなったのです。
「半分、青い。」は後半はもう私も「半分、ホラー」と照らし合わせて観て乗り切っていた部分があったのですが、今も本当に「ちむどんどん」のアンチが比較レベルの駄作扱いでSNSで名前を出してますね。
しかし、一気観したら
「何だ、鈴愛がいつも他人頼みで突拍子も無いキャラに見えてたけど、全体のストーリーは一貫してるじゃん」
と納得。
朝ドラらしい要素の
●マイノリティを受け入れる世界
●家族愛
●人は夢を追い求めつつ、現実と折り合いをつけてどう生きるべきなのか
●家族や友人や周囲の人と支え合うとは、どういうことか
がガッツリと盛り込まれていて、伏線が結構張り巡らされていたのだけれど、朝の15分で途切れ途切れに観ていると伏線のことを忘れ、「なんかまた突拍子もないこと言い出した!?」となっていたんですね。
私はもう「ちむどんどん」は離脱しているのですが、朝ドラの評価は難しいです。
リアタイ時には、鈴愛が子供の頃から昔の少年漫画を父の影響で読んでいて、幼馴染の律経由で秋風羽織(くらもちふさこ)の漫画と出会ってハマり、漫画家を志すけど挫折する、その後迷走しまくった後に40歳になって律と結ばれる…
という部分だけ考えると、この挫折後の迷走が確かに蛇足に感じます。
また、くらもちふさこファンの間では「壁の実在するくらもちふさこの絵(糸のきらめき)に鳥と涙を描き足したのが許せない」、とか「キャラが良いこと言ってる風なセリフは、くらもち作品からの引用でしかない」という言葉で叩かれていました。


糸のきらめき
くらもちふさこ自身は「鈴愛には漫画家を諦めて欲しくなかった」とコメントを寄せています。
漫画好きとして、色々思うところは確かにある。
1番は「ストーリーを考えること」という部分にどんどん追い詰められて迷走し、鬱状態になって鈴愛が筆を折るところ、でしょう。
以降は全然マンガを読んだりしないので、「本当にマンガが好きだったの?」と思いました。
ここはもう、「挫折して逃げた自分を思い出したくない」というキャラ設定だったからなんですね。
絵を描くことさえ止めて娘の前でも絵を描かなかったのに、律が娘のカンちゃんに「ママは昔漫画家だった」ということをウッカリばらしてしまい、以降はお店のキャラをデザインしたり、律との「そよ風の扇風機」開発のためにスケッチするようになっていました。
結婚、出産、離婚の時の暴言とか、鈴愛のキャラが強すぎて、どれだけ鈴愛が深く傷ついていたのか忘れていたわ…
最近くらもちふさこ原画展に行き、作品集を買って改めて思いましたが、彼女の作品はストーリーだけでなく絵の拘りがすごい!
そりゃ天才の秋風羽織の役になるわ!
実際には、くらもちふさこの性格と秋風羽織は完全に別物ですが。
鈴愛はあくまでも「片耳聞こえないハンディキャップも、発想の転換で前向きになれる」というアイデア派のキャラ。
律は「元々理系の物作りが好きな変わり者で、ノーベル賞を獲るようなモノを作りたかったけど迷走した真面目な優しい人」というキャラ。
2人が生まれ育った第二次ベビーブームの頃の世情を盛り込んでいるため、登場するくらもち作品も当時のものになります。
で、1番出てくるのは「いつもポケットにショパン」ですし、くらもちふさこ作品には幼馴染ものが多いので、そこが鈴愛と律にリンクしそうになる部分も多い!
また放送当時は完結したばかりだった「花に染む」の設定もチラホラ出ていて、「これはオマージュ?」という部分がたくさんありました。
ただ、くらもちふさこ作品の幼馴染ものと、「半分、青い。」の鈴愛と律の幼馴染としての関係性は、全くの別物です。
「いつもポケットにショパン」は、子供の頃は大の仲良しだった男女の幼馴染が、実は母親同士に確執があったことを知り、再会した時には豹変していた季普(としくに/きしんちゃん)とピアノを通して和解をしていく物語でした。
これ最近知ったんですが、集英社は二人の関係を「初恋の人」と説明に書いていてビックリ…
いや、そうだったかもしれないけれど、作中では「異性として好き」という言葉は幼少期シーンに出てきません。
最後まで一貫して二人はプラトニックであり、「大好きな幼馴染であり、ピアノのライバルというより同志」という存在。
「いろはにこんぺいと」は同じ団地内の幼馴染が高校生に成長してから恋愛関係になりますが、こちらは主人公の女の子はずっと男の子とことが好きで、それが故に意地悪をしてしまって確執が生まれたり、「やっぱり妹のようにしか見えない」と言われていたのが、結局くっつくという流れでした。


いろはにこんぺいと 1
「東京のカサノバ」は幼馴染ではなく血の繋がらない兄妹が恋愛関係になるお話で、これも幼馴染に近いけれど、元々ちいちゃんは血が繋がっていないと知る前から妹のターコが大好きでキスしていて、ターコもそれを夢と思いつつ異性として意識している部分があった。


東京のカサノバ 1
「花に染む」は、そもそも幼馴染と言っても出会いは主人公の花乃が小学6年生、陽大が小学5年生で、まず流鏑馬をする陽大の姿に心を掴まれた花乃が、その後親友となるお話。事件と弓道という共通点を抱える二人が、「親友」という形から「恋愛」に発展するかまでは明確には描かれていません。
くらもちふさこは「子供の頃は良い子だった少年が、再会したら激変していた、というギャップが好き」だそうで、そういう作品が多いです。
マンガだからというのもあるんですが、とにかくくらもち男子は魅力的でカッコよく、女の子は恋に夢中なようでいても、自分がやりたいことに対して集中していて、そして東京出身者が描いてるな~というくらい、黙って思い遣ったり、悩みを口にしなかったり、絵だけで親密さを表現しているシーンが多い!
そして、くらもち作品の男女はとにかく排他的で執着心が強く、お互いの内面が読み取れても口にしないで独白で納得します。
朝の忙しい時間にラジオ感覚で音声だけでも楽しめる朝ドラ、という枠では、同じような表現は出来ません。
敢えて言うなら「おかえりモネ」のモネがこの心の中を口にしないタイプだったため、視聴者は混乱したりしていましたしね…
「半分、青い。」では、鈴愛が口にしない気遣いに周囲の人たちが気付いて説明する、という演出にどうしてもなってしまうため、そこがまた「主人公は甘やかされている」という印象になってしまっていたかもしれません。
ただ一気観してみると、キャラ設定は一貫しているし、とんでもないと思ったシーンも筋は通っていました。
鈴愛とボクテとユーコは漫画家をしていただけあって、発想力や言葉選びが一般論とは違うし、「花に染む」のハグシーンにギュンギュンした直後の身としては、鈴愛と律が川辺でハグしてお互いに別れと励ましの言葉を送り合うところに泣いちゃいました…
いやー、少女マンガなドラマだった!
役者も今観るとめちゃくちゃ豪華だし、過去に夢を追い求めたことのあるアラフォーなら
「こんな幼馴染が欲しかった」
「こんな友達、仲間、家族が欲しかった!」
という理想が詰まっていて、そして痛みや苦しみに自身の記憶を呼び起こされて泣けます。
「本当の悪人は出て来ない」というところも、朝ドラらしいですね。
身勝手だったり性格悪く見えた人も、それぞれ事情があって、それを語らせてはいるし。
さて、くらもちふさこ作品のオマージュだなと思う部分は、放送当時既に色々指摘の声はSNSに挙がっていました。
が、それを今更全部追えないので、私が気付いた点を書きます。
分かりやすいのは、鈴愛の「一瞬に咲け」は「100Mのスナップ」の設定をちょっと変えただけ。


100Mのスナップ
中村倫也が演じる正人君が猫を飼っているのは、多分「チープスリル」のたろちゃんがモデル。


チープスリル 1
俳優の息子でキレイな顔をしていて、皆んなには人気だったけど好きだった女の子には超ドSで、ヒモ状態の女にダラシないタイプでしたが…
なので、性格は違うけど「女より猫を可愛がる」という点がモデルかな?
律が弓道少女に片想いするのは、もう「花に染む」そのものでしたね。
律と自分は釣り合わないから恋愛関係じゃなく親友であり、だからこそ「守りたい」というあたりも、花乃が陽大に抱く気持ちと同じ。
秋風先生の手紙に「想像力」について書かれていたのも、「花に染む」のテーマでした。


花に染む 1
木にかかったバドミントンの羽根を弓で落とす、羽根を受け止めた手を「雛鳥を包んでいるみたい」と表現するのは、「駅から5分」の陽大のエピソード。
マンガ内では木にかかった風船を子供のために取ってあげるのと、道端で死にかけたスズメを陽大が両手で包んで温めて一時蘇生させてあげ、それを見ていた後輩少女が「あの慈愛に満ちた手に包まれてみたい」と思うシーンでしたが。


駅から5分 1
鈴愛が上京を反対する母を説得し切った時の、母の「負けた、と思った」も、「花に染む」のラストの寄り添い合う花乃と陽大、陽大のカケを持ち弓を1人で見つめる楼良の対比シーンの独白と同じ。


花に染む 8
あそこは解釈が分かれていますが、好きな相手の物を大事にする執着心と、本人が心から自分のことを思って寄り添っている対比であり、「想いの強さ」に対する「負けた」だという解釈で入れたのかなと想像しています。
お母ちゃんは、とにかく娘を守るために反対していた。
でもその娘を想う気持ちより、やりたいことを追いかけたい娘の気持ちの方が強かった、という意味なので、花乃や楼良とは状況が違いますが。
「半分、青い。」は地方の話とはいえ「天然コケッコー」とはまた違う。
でも「そよ風」は天然コケッコーの最後の「そよ、そよ」と吹く風のイメージそのものでしたね。


天然コケッコー 1
律が前半はイケメンで頭が良くて完璧な王子様キャラだったのは、やはりくらもち作品的。
ただ、くらもち作品の男子は律のように悩んで迷わないし、それを口にしませんが。
「いつもポケットにショパン」の名セリフは、そのまま「秋風先生の作品の中のセリフ」として出てくるため、ここはオマージュとは言えないでしょう。


いつもポケットにショパン 1
ただ律と正人の、多くを語らなくても分かってくれる関係性、は、陽大と入谷とか、そういう女性が入り込めない世界観があったとは思います。
中村倫也の演技力や演出もありますが、正人くんの「鈴愛からのお土産を受け取りつつ、反対の手でサッと鈴愛の荷物も持ってあげる」のあたりは、くらもち男子ぽさがありました!
「半分、青い。」Netflix初配信を記念して、撮影最終日の写真を。なんか、みんなちょっと若い? pic.twitter.com/A7CqWqooNZ
— 北川悦吏子 (@halu1224) October 12, 2021
このドラマで中村倫也の存在を知ったので、以前彼の出演シーンだけNHKオンデマンドで観返したりもしていたのですが、今回の視聴目的は最近また夢中になっている「くらもちふさこ作品が観たい」でした。
リアタイ時にも劇中に出てくるマンガは読了していたのですが、今になって「花に染む」を再読したら良さが分かり、改めて照らし合わせたくなったのです。
「半分、青い。」は後半はもう私も「半分、ホラー」と照らし合わせて観て乗り切っていた部分があったのですが、今も本当に「ちむどんどん」のアンチが比較レベルの駄作扱いでSNSで名前を出してますね。
朝ドラ「半分、青い」がどんどん叩かれるようになっていますね…私も観ていますが、ヤフコメ等で文句が書かれているのを目にするうちに、徐々に放送中に「え?これおかしくない?」とか批判的な目で見るようになってしまいました。これって人間関係でもよくある、一度嫌だと思ったら、次々と重箱の隅をつつくように悪いところが目につくようになる心理と同じなのかもしれません。今日ガールズちゃんねるを見てみたら、やはり「半分...
しかし、一気観したら
「何だ、鈴愛がいつも他人頼みで突拍子も無いキャラに見えてたけど、全体のストーリーは一貫してるじゃん」
と納得。
朝ドラらしい要素の
●マイノリティを受け入れる世界
●家族愛
●人は夢を追い求めつつ、現実と折り合いをつけてどう生きるべきなのか
●家族や友人や周囲の人と支え合うとは、どういうことか
がガッツリと盛り込まれていて、伏線が結構張り巡らされていたのだけれど、朝の15分で途切れ途切れに観ていると伏線のことを忘れ、「なんかまた突拍子もないこと言い出した!?」となっていたんですね。
私はもう「ちむどんどん」は離脱しているのですが、朝ドラの評価は難しいです。
リアタイ時には、鈴愛が子供の頃から昔の少年漫画を父の影響で読んでいて、幼馴染の律経由で秋風羽織(くらもちふさこ)の漫画と出会ってハマり、漫画家を志すけど挫折する、その後迷走しまくった後に40歳になって律と結ばれる…
という部分だけ考えると、この挫折後の迷走が確かに蛇足に感じます。
また、くらもちふさこファンの間では「壁の実在するくらもちふさこの絵(糸のきらめき)に鳥と涙を描き足したのが許せない」、とか「キャラが良いこと言ってる風なセリフは、くらもち作品からの引用でしかない」という言葉で叩かれていました。
糸のきらめき
くらもちふさこ自身は「鈴愛には漫画家を諦めて欲しくなかった」とコメントを寄せています。
今更読んだ記事だけど、くらもちふさこは天才で、そうなれないと自覚して諦めた過去を封印したがった鈴愛の気持ちもわかる。
— うらら (@urarara0724) June 22, 2022
くらもちふさこ 朝ドラ鈴愛に「漫画をやめてほしくなかった」|NEWSポストセブン https://t.co/Rf0pM9S7N1 #NEWSポストセブン
漫画好きとして、色々思うところは確かにある。
1番は「ストーリーを考えること」という部分にどんどん追い詰められて迷走し、鬱状態になって鈴愛が筆を折るところ、でしょう。
以降は全然マンガを読んだりしないので、「本当にマンガが好きだったの?」と思いました。
ここはもう、「挫折して逃げた自分を思い出したくない」というキャラ設定だったからなんですね。
絵を描くことさえ止めて娘の前でも絵を描かなかったのに、律が娘のカンちゃんに「ママは昔漫画家だった」ということをウッカリばらしてしまい、以降はお店のキャラをデザインしたり、律との「そよ風の扇風機」開発のためにスケッチするようになっていました。
結婚、出産、離婚の時の暴言とか、鈴愛のキャラが強すぎて、どれだけ鈴愛が深く傷ついていたのか忘れていたわ…
最近くらもちふさこ原画展に行き、作品集を買って改めて思いましたが、彼女の作品はストーリーだけでなく絵の拘りがすごい!
そりゃ天才の秋風羽織の役になるわ!
実際には、くらもちふさこの性格と秋風羽織は完全に別物ですが。
鈴愛はあくまでも「片耳聞こえないハンディキャップも、発想の転換で前向きになれる」というアイデア派のキャラ。
律は「元々理系の物作りが好きな変わり者で、ノーベル賞を獲るようなモノを作りたかったけど迷走した真面目な優しい人」というキャラ。
2人が生まれ育った第二次ベビーブームの頃の世情を盛り込んでいるため、登場するくらもち作品も当時のものになります。
で、1番出てくるのは「いつもポケットにショパン」ですし、くらもちふさこ作品には幼馴染ものが多いので、そこが鈴愛と律にリンクしそうになる部分も多い!
また放送当時は完結したばかりだった「花に染む」の設定もチラホラ出ていて、「これはオマージュ?」という部分がたくさんありました。
ただ、くらもちふさこ作品の幼馴染ものと、「半分、青い。」の鈴愛と律の幼馴染としての関係性は、全くの別物です。
「いつもポケットにショパン」は、子供の頃は大の仲良しだった男女の幼馴染が、実は母親同士に確執があったことを知り、再会した時には豹変していた季普(としくに/きしんちゃん)とピアノを通して和解をしていく物語でした。
これ最近知ったんですが、集英社は二人の関係を「初恋の人」と説明に書いていてビックリ…
いや、そうだったかもしれないけれど、作中では「異性として好き」という言葉は幼少期シーンに出てきません。
最後まで一貫して二人はプラトニックであり、「大好きな幼馴染であり、ピアノのライバルというより同志」という存在。
「いろはにこんぺいと」は同じ団地内の幼馴染が高校生に成長してから恋愛関係になりますが、こちらは主人公の女の子はずっと男の子とことが好きで、それが故に意地悪をしてしまって確執が生まれたり、「やっぱり妹のようにしか見えない」と言われていたのが、結局くっつくという流れでした。
いろはにこんぺいと 1
「東京のカサノバ」は幼馴染ではなく血の繋がらない兄妹が恋愛関係になるお話で、これも幼馴染に近いけれど、元々ちいちゃんは血が繋がっていないと知る前から妹のターコが大好きでキスしていて、ターコもそれを夢と思いつつ異性として意識している部分があった。
東京のカサノバ 1
「花に染む」は、そもそも幼馴染と言っても出会いは主人公の花乃が小学6年生、陽大が小学5年生で、まず流鏑馬をする陽大の姿に心を掴まれた花乃が、その後親友となるお話。事件と弓道という共通点を抱える二人が、「親友」という形から「恋愛」に発展するかまでは明確には描かれていません。
くらもちふさこは「子供の頃は良い子だった少年が、再会したら激変していた、というギャップが好き」だそうで、そういう作品が多いです。
A:これは悩むなぁ(笑)。「少年」と「青年」に置き換えた場合、その境目は18歳頃だと思っています。女の子は境目がわかりにくいけど、男の子よりも若くて、8~9歳あたりにはもう大人っぽい子は大人っぽい気がするなー。#くらもちふさこ展 #Kura50 pic.twitter.com/M5KzZEVkSk
— くらもちふさこ50th情報局 (@kuramochi_ten) May 2, 2022
マンガだからというのもあるんですが、とにかくくらもち男子は魅力的でカッコよく、女の子は恋に夢中なようでいても、自分がやりたいことに対して集中していて、そして東京出身者が描いてるな~というくらい、黙って思い遣ったり、悩みを口にしなかったり、絵だけで親密さを表現しているシーンが多い!
そして、くらもち作品の男女はとにかく排他的で執着心が強く、お互いの内面が読み取れても口にしないで独白で納得します。
朝の忙しい時間にラジオ感覚で音声だけでも楽しめる朝ドラ、という枠では、同じような表現は出来ません。
敢えて言うなら「おかえりモネ」のモネがこの心の中を口にしないタイプだったため、視聴者は混乱したりしていましたしね…
「半分、青い。」では、鈴愛が口にしない気遣いに周囲の人たちが気付いて説明する、という演出にどうしてもなってしまうため、そこがまた「主人公は甘やかされている」という印象になってしまっていたかもしれません。
ただ一気観してみると、キャラ設定は一貫しているし、とんでもないと思ったシーンも筋は通っていました。
鈴愛とボクテとユーコは漫画家をしていただけあって、発想力や言葉選びが一般論とは違うし、「花に染む」のハグシーンにギュンギュンした直後の身としては、鈴愛と律が川辺でハグしてお互いに別れと励ましの言葉を送り合うところに泣いちゃいました…
いやー、少女マンガなドラマだった!
役者も今観るとめちゃくちゃ豪華だし、過去に夢を追い求めたことのあるアラフォーなら
「こんな幼馴染が欲しかった」
「こんな友達、仲間、家族が欲しかった!」
という理想が詰まっていて、そして痛みや苦しみに自身の記憶を呼び起こされて泣けます。
「本当の悪人は出て来ない」というところも、朝ドラらしいですね。
身勝手だったり性格悪く見えた人も、それぞれ事情があって、それを語らせてはいるし。
さて、くらもちふさこ作品のオマージュだなと思う部分は、放送当時既に色々指摘の声はSNSに挙がっていました。
が、それを今更全部追えないので、私が気付いた点を書きます。
分かりやすいのは、鈴愛の「一瞬に咲け」は「100Mのスナップ」の設定をちょっと変えただけ。
100Mのスナップ
中村倫也が演じる正人君が猫を飼っているのは、多分「チープスリル」のたろちゃんがモデル。
チープスリル 1
俳優の息子でキレイな顔をしていて、皆んなには人気だったけど好きだった女の子には超ドSで、ヒモ状態の女にダラシないタイプでしたが…
なので、性格は違うけど「女より猫を可愛がる」という点がモデルかな?
律が弓道少女に片想いするのは、もう「花に染む」そのものでしたね。
律と自分は釣り合わないから恋愛関係じゃなく親友であり、だからこそ「守りたい」というあたりも、花乃が陽大に抱く気持ちと同じ。
秋風先生の手紙に「想像力」について書かれていたのも、「花に染む」のテーマでした。
花に染む 1
木にかかったバドミントンの羽根を弓で落とす、羽根を受け止めた手を「雛鳥を包んでいるみたい」と表現するのは、「駅から5分」の陽大のエピソード。
マンガ内では木にかかった風船を子供のために取ってあげるのと、道端で死にかけたスズメを陽大が両手で包んで温めて一時蘇生させてあげ、それを見ていた後輩少女が「あの慈愛に満ちた手に包まれてみたい」と思うシーンでしたが。
駅から5分 1
鈴愛が上京を反対する母を説得し切った時の、母の「負けた、と思った」も、「花に染む」のラストの寄り添い合う花乃と陽大、陽大のカケを持ち弓を1人で見つめる楼良の対比シーンの独白と同じ。
花に染む 8
あそこは解釈が分かれていますが、好きな相手の物を大事にする執着心と、本人が心から自分のことを思って寄り添っている対比であり、「想いの強さ」に対する「負けた」だという解釈で入れたのかなと想像しています。
お母ちゃんは、とにかく娘を守るために反対していた。
でもその娘を想う気持ちより、やりたいことを追いかけたい娘の気持ちの方が強かった、という意味なので、花乃や楼良とは状況が違いますが。
「半分、青い。」は地方の話とはいえ「天然コケッコー」とはまた違う。
でも「そよ風」は天然コケッコーの最後の「そよ、そよ」と吹く風のイメージそのものでしたね。
天然コケッコー 1
律が前半はイケメンで頭が良くて完璧な王子様キャラだったのは、やはりくらもち作品的。
ただ、くらもち作品の男子は律のように悩んで迷わないし、それを口にしませんが。
「いつもポケットにショパン」の名セリフは、そのまま「秋風先生の作品の中のセリフ」として出てくるため、ここはオマージュとは言えないでしょう。
いつもポケットにショパン 1
ただ律と正人の、多くを語らなくても分かってくれる関係性、は、陽大と入谷とか、そういう女性が入り込めない世界観があったとは思います。
中村倫也の演技力や演出もありますが、正人くんの「鈴愛からのお土産を受け取りつつ、反対の手でサッと鈴愛の荷物も持ってあげる」のあたりは、くらもち男子ぽさがありました!
ドラマをリアタイしていた時は、単にくらもちふさこが有名だから起用したのかなと思っていました。
北川悦吏子とくらもちふさこは親しいそうですし、大好きだった作品を作中で使いたいとか、当時流行っていた作品を実際に入れたらリアルになるとか、色々思惑はあったのでしょう。
一瞬「いやでも、鈴愛のキャラは、くらもちふさこ作品に影響を受けたと思えない」とは感じました。
「思っていたことが全部描かれてる!」
と鈴愛は秋風作品に感銘を受けますが、そもそも幼馴染男子からくらもち作品を借りたら
「あれ?私たちも恋愛関係になり得る?」
とか思いそう。
それに、くらもち作品の主人公はあんなに直情的じゃない!
でも、周囲の補足で「実は鈴愛なりに思い遣りがあっても口にしなかった」という説明が何度もあり、そこはくらもちふさこっぽいんですよね。
また元夫の涼ちゃんには才能があったと知り、悔しがるのも近いかな?
まぁあくまでも、このドラマの中では秋風羽織=実在するくらもちふさこの作品を描いた設定、というだけ。
そこここにオマージュが出て来ても、それはファンが気付いて楽しめば良く、あくまでも「朝ドラ」という枠の中のパーツとなっています。
ただ、その彼女の作品に影響を受けた3人の漫画家志望の若者3人がいて、それぞれが励まし合うのが良い。
震災でユーコが亡くなるのも「震災を最後に軽くネタに使った」という批判がありましたが、私はそうは思いませんでした。
実際に時代を追って再現していく朝ドラでは、やはり取り扱う歴史的悲劇だったので。
鈴愛が律と離れている間、支えてくれた親友のユーコ。
また律と巡り合えたら、今度はユーコと別れることになる、という対比だったのでしょう。
鈴愛と律は運命の2人で、そしてそれぞれに同性の親友がいる。
だから、恋愛関係の相手は踏み込めない部分がある。
戦争の話も、じいちゃんは直接は孫たちに多くを語らず、でも映像で流したけど、
「生きていれば色々ある、けど、全てを糧にして夢に向かって手を伸ばせ。
それでダメだと気付くのは怖いけど、やらないより、やった方が後悔は残らないかもしれない。
どこで諦めるかの見極めは難しく、諦めた後の切り替えは苦しい。
マイノリティも自身で個性として受け止めて、逃げではなく選択肢として最善の方法を考えていけ」
そのメッセージはドラマ内で一貫していました。
最後の雨の音のシーンですが、ここは2つオマージュと取れなくもない部分があります。
「いつもポケットにショパン」のラストの、きしんちゃんのポケットからショパンの音が聞こえてくる、そういうリズムのイメージ。
もう1つは、くらもちふさこが拘る「雨の表現」。
ここに書いたことは、くらもちふさこに再度ハマってから「半分、青い。」を観返して気付いたことです。
リアタイしている時は、設定のブレを感じることは確かにありました。
漫画家を止めた後のドタバタは意味不明にも感じていた。
でもそれがあって、その後離婚して、それでも元旦那には子供を会わせなくても叔母たちには会わせていた、というのに繋がるし、その後の和解にもなる。
さすがに子供の誕生日に離婚を切り出されたら「死んでくれ」も言うよね〜とリアタイ時に思っていましたが、今もそこは批判がありますね…
途中で観るのを止めた、思い返したくない、朝ドラ批判の代名詞、と思っている人たちがいる作品なのは分かっています。
私は当時北川悦吏子のTwitterを見ていなかったけど、Twitterで補足説明をしたのが叩かれたり、視聴を煽られたのに怒る人たちがいたことも今回知りました。
5年ぶりの再会でいきなり律が鈴愛にプロポーズしたのは、元々そのつもりで帰省していたし、会えると思って鈴愛も笛を持っていっていた、とかね。
そこはでも説明を聞いても聞かなくても私は良い部分な気がします。
元々2人は「付き合う相手として、どうなのかな」と想い合っていて、でもタイミングが合わずにいた。
ドラマの最初は高校生の時の、玄関先で雨に気付いた鈴愛に律が自分の壊れかけたビニール傘をサッと渡し、自分は走り出して友達の傘に入るシーンでした。
最初から最後まで、傘が一貫していたんですね。
高校卒業時の、雨の中泥がはねてお気に入りの服が汚れた鈴愛に、速攻で律がパーカーの袖で拭いてあげるところも胸キュンだったな〜。
鈴愛がいつもよりオシャレをしてきた、ということに律は気付いていたってシーンですもの。
鈴愛が思わず口にしてしまった言葉に「そうなの?」と優しく聞き返して、「でもそれってさ」と諭してくれる幼馴染、最高でしょ…
そんな風に生まれた時から一緒の異性を大事にしてきていたら、後から現れた美人の憧れの人も、嫁も、敵わない存在になるのかしらね…?
「花に染む」の陽大と花乃とはまた違う幼馴染ものだったな〜と思いました。
陽大はとこっっっっっっっっとん、花乃以外には甘えないし、軽口は叩いても絶対に怒らないし、部屋の合鍵を渡したりベッドで寝たりするから…
等身大の女性をテーマにした朝ドラと、少女マンガは別物ですね、限りなく近くても。
ブレイク前の俳優さんがたくさん出ているし、チラホラと刺さるセリフもあるし、これは朝ドラというより配信向けのドラマだったんだなと今は思います。
私は再視聴して何度か泣いたし、観直して良かったと心から思いました!
リアタイ時には気付かなかったことに気付ける、それこそこのドラマのテーマに近い感覚かもしれませんね。
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北川悦吏子とくらもちふさこは親しいそうですし、大好きだった作品を作中で使いたいとか、当時流行っていた作品を実際に入れたらリアルになるとか、色々思惑はあったのでしょう。
一瞬「いやでも、鈴愛のキャラは、くらもちふさこ作品に影響を受けたと思えない」とは感じました。
「思っていたことが全部描かれてる!」
と鈴愛は秋風作品に感銘を受けますが、そもそも幼馴染男子からくらもち作品を借りたら
「あれ?私たちも恋愛関係になり得る?」
とか思いそう。
それに、くらもち作品の主人公はあんなに直情的じゃない!
でも、周囲の補足で「実は鈴愛なりに思い遣りがあっても口にしなかった」という説明が何度もあり、そこはくらもちふさこっぽいんですよね。
また元夫の涼ちゃんには才能があったと知り、悔しがるのも近いかな?
まぁあくまでも、このドラマの中では秋風羽織=実在するくらもちふさこの作品を描いた設定、というだけ。
そこここにオマージュが出て来ても、それはファンが気付いて楽しめば良く、あくまでも「朝ドラ」という枠の中のパーツとなっています。
ただ、その彼女の作品に影響を受けた3人の漫画家志望の若者3人がいて、それぞれが励まし合うのが良い。
震災でユーコが亡くなるのも「震災を最後に軽くネタに使った」という批判がありましたが、私はそうは思いませんでした。
実際に時代を追って再現していく朝ドラでは、やはり取り扱う歴史的悲劇だったので。
鈴愛が律と離れている間、支えてくれた親友のユーコ。
また律と巡り合えたら、今度はユーコと別れることになる、という対比だったのでしょう。
鈴愛と律は運命の2人で、そしてそれぞれに同性の親友がいる。
だから、恋愛関係の相手は踏み込めない部分がある。
戦争の話も、じいちゃんは直接は孫たちに多くを語らず、でも映像で流したけど、
「生きていれば色々ある、けど、全てを糧にして夢に向かって手を伸ばせ。
それでダメだと気付くのは怖いけど、やらないより、やった方が後悔は残らないかもしれない。
どこで諦めるかの見極めは難しく、諦めた後の切り替えは苦しい。
マイノリティも自身で個性として受け止めて、逃げではなく選択肢として最善の方法を考えていけ」
そのメッセージはドラマ内で一貫していました。
最後の雨の音のシーンですが、ここは2つオマージュと取れなくもない部分があります。
「いつもポケットにショパン」のラストの、きしんちゃんのポケットからショパンの音が聞こえてくる、そういうリズムのイメージ。
もう1つは、くらもちふさこが拘る「雨の表現」。
ここに書いたことは、くらもちふさこに再度ハマってから「半分、青い。」を観返して気付いたことです。
リアタイしている時は、設定のブレを感じることは確かにありました。
漫画家を止めた後のドタバタは意味不明にも感じていた。
でもそれがあって、その後離婚して、それでも元旦那には子供を会わせなくても叔母たちには会わせていた、というのに繋がるし、その後の和解にもなる。
さすがに子供の誕生日に離婚を切り出されたら「死んでくれ」も言うよね〜とリアタイ時に思っていましたが、今もそこは批判がありますね…
途中で観るのを止めた、思い返したくない、朝ドラ批判の代名詞、と思っている人たちがいる作品なのは分かっています。
私は当時北川悦吏子のTwitterを見ていなかったけど、Twitterで補足説明をしたのが叩かれたり、視聴を煽られたのに怒る人たちがいたことも今回知りました。
5年ぶりの再会でいきなり律が鈴愛にプロポーズしたのは、元々そのつもりで帰省していたし、会えると思って鈴愛も笛を持っていっていた、とかね。
そこはでも説明を聞いても聞かなくても私は良い部分な気がします。
元々2人は「付き合う相手として、どうなのかな」と想い合っていて、でもタイミングが合わずにいた。
ドラマの最初は高校生の時の、玄関先で雨に気付いた鈴愛に律が自分の壊れかけたビニール傘をサッと渡し、自分は走り出して友達の傘に入るシーンでした。
最初から最後まで、傘が一貫していたんですね。
高校卒業時の、雨の中泥がはねてお気に入りの服が汚れた鈴愛に、速攻で律がパーカーの袖で拭いてあげるところも胸キュンだったな〜。
鈴愛がいつもよりオシャレをしてきた、ということに律は気付いていたってシーンですもの。
鈴愛が思わず口にしてしまった言葉に「そうなの?」と優しく聞き返して、「でもそれってさ」と諭してくれる幼馴染、最高でしょ…
そんな風に生まれた時から一緒の異性を大事にしてきていたら、後から現れた美人の憧れの人も、嫁も、敵わない存在になるのかしらね…?
「花に染む」の陽大と花乃とはまた違う幼馴染ものだったな〜と思いました。
陽大はとこっっっっっっっっとん、花乃以外には甘えないし、軽口は叩いても絶対に怒らないし、部屋の合鍵を渡したりベッドで寝たりするから…
等身大の女性をテーマにした朝ドラと、少女マンガは別物ですね、限りなく近くても。
ブレイク前の俳優さんがたくさん出ているし、チラホラと刺さるセリフもあるし、これは朝ドラというより配信向けのドラマだったんだなと今は思います。
私は再視聴して何度か泣いたし、観直して良かったと心から思いました!
リアタイ時には気付かなかったことに気付ける、それこそこのドラマのテーマに近い感覚かもしれませんね。
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