「謙虚」は才能ある努力家なら「美徳」、凡人なら「卑屈」~稲葉浩志、中村倫也、くらもちふさこ好きの一意見
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長年ブログをやっていて、その時々にハマった物や人についてアレコレと書いてきていますが、人生で1番長期間好きなのは稲葉浩志さんです。
最初は顔に一目惚れだったけど、その後曲も話し方も高学歴なところも好きになり、更に謙虚な姿勢とストイックな努力家、なのにお茶目だったり天然な可愛さを長年キープしていて、こんなに好きになれる人はもう現れないんじゃない⁉︎と思い続けて早数十年。
まぁもう彼に関しては、私が今更褒める必要も無いでしょう。
一昔前だと「人気があるから好きなだけでしょ」とサブカル好きから鼻で笑われたりしてきましたが、ここまで第一線で活躍し続けているため、最近はもう稲葉浩志さんを好きと言っても笑われなくなりました。
もちろん世間ではアンチみたいなことを言う人もいるみたいだけど、関係無し。
あまりテレビにも出ないため、「ファンなら知ってる魅力」みたいなのがまた優越感を持たせてくれます!
稲葉浩志さんの素敵なところはやはり「謙虚さ」。
他人を褒め、自分の自信の無さを口にし、でも自分なりに出来ることはやり切ろうとする姿勢が良いのです。
「謙虚さ」は日本人、大好きですね。
もちろん英語でも「謙虚=humble」なので、日本にしか無い概念ではありませんが。
でも謙虚な人は好きだけど、自分が他人から謙虚さを求められたら「日本の悪しき因習」のように思います。
普段褒められること無く過ごしていて、偶に成功して喜んだら「調子に乗ってる」と思われる。
では、全く成功したことの無い人が、常に控え目に自分を下げる発言をしたら、どう思われるか?
それはきっと「卑屈」「自分に自信が無さすぎ」としてダメ出しされるでしょう。
最近くらもちふさこにハマっていますが、彼女も原画展のコメントを読むととても謙虚です。
めちゃくちゃ魅力的な線で素敵な絵を描き、話も素晴らしいのに「自分の線が嫌い」「こういうのが好きだけど、自分には出来ない」と言い、50周年の大ベテランなのに探究心があってすごい!


THE くらもちふさこ デビュー50周年記念画集 (愛蔵版コミックス)
時代に合わせて絵柄を変え、読者の反応を見ながら描きたいものを緻密に構成して考え、見せゴマの表現に拘り続けて試行錯誤しながら50年…という彼女の作品は、本当に刺激的です。
もう1人今ハマってる謙虚な人を挙げるなら中村倫也。
彼のことは外見よりも、偶々チケットが取れたトークライブでの話術で好きになりました。
「アンチがいて一人前。今は自分にはアンチがいないから、まだまだ」と既に人気がかなり出てき始めていた時に言っていて、そこから更に人気が上がっても変わらぬ姿勢を貫いているのは素敵だなと思います。
タイトルには入れなかったけど、やはり今ハマってる声優の中村悠一も、冗談で調子に乗っているようなことを言いながらも謙虚な人ですね。
「歌も顔出しの演技も、本業じゃないから」と言って、オファーが来ても断るし。
「ここからここまでは、自分は頑張ってやりたいから精一杯やる。
でも、ここ以外の部分は自分には無理だからやらない」
という自己認識をした上で、頑なにならずに挑戦出来ることはし、上手くいっても謙虚な姿勢で言葉を選んで話せる。
そういう人が成果を上げ続けているのは、本当に素敵だと思います。
一方、成功していても謙虚じゃない人は、叩かれがちですね。
新田真剣佑は「ビッグマウス」と炎上前から言われたりしていました。
それはアメリカ育ちだから、と思う人もいたけど、ハリウッド俳優でも、日本語勉強中の外国人のSNSを見ても、常に自信満々な人は見かけないというか、自分に自信がないことを書く人は多いなと思います。
アメリカ人の友人のお母さんが仏教系の集会に行っていて、そこでパーティーの準備を頑張ったから皆んなに褒めてもらおうとアピールしたら
「日本人はそういう時、自分から褒めて欲しいって言動をしないものなのよ」と言われたことがあったそうです。
あと「褒める」という文化の違いもありますね。
日本人の褒めるは「おべっか」と思われがちだけど、あちらはコミュニケーションを円滑にするために「まず30%褒めてから、要求を言う」とのことでした。
どちらかと言うとファンサービスに商売目的よりも人情味を感じる人が、欧米では人気なイメージがあるかな?
そして自信過剰な人は、やっぱりゴシップ系で叩かれがち。
突き抜けた天才肌って感じで自信満々な人は、それはそれで「個性」として一定数のファンが付くとは思います。
それでも全体的には、「成功者で謙虚な人」はやはり好感度が高い。
それを一般人の私達が真似しようとしても、そもそも成功していない限りは真似自体出来ませんが。
誰だって、努力して認められたら嬉しい。
でも努力したからって成功するとは限らない。
何でもかんでも褒めて伸ばす「ゆとり教育」は、それはそれで微妙だったという説もありますし…
結局キーポイントは「性格」ではなく「実力+謙虚さ」であり、選ばれた人にしか使えない技な気がしてきました。
最初は顔に一目惚れだったけど、その後曲も話し方も高学歴なところも好きになり、更に謙虚な姿勢とストイックな努力家、なのにお茶目だったり天然な可愛さを長年キープしていて、こんなに好きになれる人はもう現れないんじゃない⁉︎と思い続けて早数十年。
まぁもう彼に関しては、私が今更褒める必要も無いでしょう。
一昔前だと「人気があるから好きなだけでしょ」とサブカル好きから鼻で笑われたりしてきましたが、ここまで第一線で活躍し続けているため、最近はもう稲葉浩志さんを好きと言っても笑われなくなりました。
もちろん世間ではアンチみたいなことを言う人もいるみたいだけど、関係無し。
あまりテレビにも出ないため、「ファンなら知ってる魅力」みたいなのがまた優越感を持たせてくれます!
稲葉浩志さんの素敵なところはやはり「謙虚さ」。
他人を褒め、自分の自信の無さを口にし、でも自分なりに出来ることはやり切ろうとする姿勢が良いのです。
【NEWS】
— B'z (@Bz_Official) December 13, 2021
Yahoo!ニュース特集
稲葉浩志インタビュー掲載!https://t.co/2fXK5yLUs3
「謙虚さ」は日本人、大好きですね。
もちろん英語でも「謙虚=humble」なので、日本にしか無い概念ではありませんが。
でも謙虚な人は好きだけど、自分が他人から謙虚さを求められたら「日本の悪しき因習」のように思います。
普段褒められること無く過ごしていて、偶に成功して喜んだら「調子に乗ってる」と思われる。
では、全く成功したことの無い人が、常に控え目に自分を下げる発言をしたら、どう思われるか?
それはきっと「卑屈」「自分に自信が無さすぎ」としてダメ出しされるでしょう。
最近くらもちふさこにハマっていますが、彼女も原画展のコメントを読むととても謙虚です。
めちゃくちゃ魅力的な線で素敵な絵を描き、話も素晴らしいのに「自分の線が嫌い」「こういうのが好きだけど、自分には出来ない」と言い、50周年の大ベテランなのに探究心があってすごい!
THE くらもちふさこ デビュー50周年記念画集 (愛蔵版コミックス)
時代に合わせて絵柄を変え、読者の反応を見ながら描きたいものを緻密に構成して考え、見せゴマの表現に拘り続けて試行錯誤しながら50年…という彼女の作品は、本当に刺激的です。
もう1人今ハマってる謙虚な人を挙げるなら中村倫也。
彼のことは外見よりも、偶々チケットが取れたトークライブでの話術で好きになりました。
ふぁさっとトークライブ~幻のワシミミズクを探して~vol.006中村倫也レポ、爆笑&涙!
今夜は「中村倫也ふぁさっとトークライブvol.005→006」の006、夜の部に行ってきました!場所はマウントレーニアホール渋谷。事前に過去のトークライブのレポは読んでいましたが、全ての出演作を観ているわけではないので、どんな雰囲気なのかドキドキ…。とりあえず前日に「愚行録」は観ました。「半分、青い」も「ドロ刑」も、ゲスト出演した「今日から俺は‼︎」も観た、「スーパーサラリーマン左江内」とか「勇者ヨシヒコ」とか「...
「アンチがいて一人前。今は自分にはアンチがいないから、まだまだ」と既に人気がかなり出てき始めていた時に言っていて、そこから更に人気が上がっても変わらぬ姿勢を貫いているのは素敵だなと思います。
タイトルには入れなかったけど、やはり今ハマってる声優の中村悠一も、冗談で調子に乗っているようなことを言いながらも謙虚な人ですね。
「歌も顔出しの演技も、本業じゃないから」と言って、オファーが来ても断るし。
「ここからここまでは、自分は頑張ってやりたいから精一杯やる。
でも、ここ以外の部分は自分には無理だからやらない」
という自己認識をした上で、頑なにならずに挑戦出来ることはし、上手くいっても謙虚な姿勢で言葉を選んで話せる。
そういう人が成果を上げ続けているのは、本当に素敵だと思います。
一方、成功していても謙虚じゃない人は、叩かれがちですね。
新田真剣佑は「ビッグマウス」と炎上前から言われたりしていました。
それはアメリカ育ちだから、と思う人もいたけど、ハリウッド俳優でも、日本語勉強中の外国人のSNSを見ても、常に自信満々な人は見かけないというか、自分に自信がないことを書く人は多いなと思います。
アメリカ人の友人のお母さんが仏教系の集会に行っていて、そこでパーティーの準備を頑張ったから皆んなに褒めてもらおうとアピールしたら
「日本人はそういう時、自分から褒めて欲しいって言動をしないものなのよ」と言われたことがあったそうです。
あと「褒める」という文化の違いもありますね。
日本人の褒めるは「おべっか」と思われがちだけど、あちらはコミュニケーションを円滑にするために「まず30%褒めてから、要求を言う」とのことでした。
どちらかと言うとファンサービスに商売目的よりも人情味を感じる人が、欧米では人気なイメージがあるかな?
そして自信過剰な人は、やっぱりゴシップ系で叩かれがち。
突き抜けた天才肌って感じで自信満々な人は、それはそれで「個性」として一定数のファンが付くとは思います。
それでも全体的には、「成功者で謙虚な人」はやはり好感度が高い。
それを一般人の私達が真似しようとしても、そもそも成功していない限りは真似自体出来ませんが。
誰だって、努力して認められたら嬉しい。
でも努力したからって成功するとは限らない。
何でもかんでも褒めて伸ばす「ゆとり教育」は、それはそれで微妙だったという説もありますし…
結局キーポイントは「性格」ではなく「実力+謙虚さ」であり、選ばれた人にしか使えない技な気がしてきました。
例えばですが、絵が下手で話があまり面白くない漫画家が「私なんてまだまだダメで、もっと努力しないと」と笑顔で言っていたら
「自分の欠点がどこだか、本当に分かってるの?もっと必死になれば?」
と思いませんか?
音楽センスが無くて歌が下手なボーカルが「俺なんてまだまだ全然ダメ」と言っていたら
「うん、向いてないから早く現実見て別の堅実なことしたら?音楽は趣味で良いでしょ」
と思いませんか?
こういう人たちが「あの部分は良かったよ」と周囲が頑張ってフォローのつもりで褒めた時に
「わーでしょ?自分もあそこは自信あったんだ!」なんて鵜呑みにしてしまったら「あ〜あ…真に受けて馬鹿みたい」と思われそう。
また面倒くさいことに「まだまだダメだから頑張っているんだ!」というアピールをすることも、「ウザい」と思われる可能性があります。
私も先日、英語の勉強をずっと頑張っている、という話をしていた時に、友人から「アンタの英語の発音下手だよね〜私は上手いけど」と言われてビックリしました。
元々酔うとマウンティング女子になるところがある人なんですが、それから数週間ずっとモヤモヤしています。
そういう言い方されて「なにくそ、頑張ろう」と思う人もいれば、やる気を無くす人もいる。
ちなみに人生の半分以上アメリカに住み、現地の人と結婚している英語がペラペラの友人は
「英語の日常会話や熟語は難しいよね〜私もまだ旦那さんに質問することあるよ。
語学の勉強ってやってもやっても終わりが無いものなんだって気付いたんだ」
と言っていました。
同じような内容を別の友人たちに話しているのに、こんなに反応が違うっていうのも面白いところです。
ただ大抵の人は、後者の「実力があるけど謙虚」な友人が好きでしょう。
私ももう前者の友人とは、英語に関する話は二度としたくないと思っています。
「謙虚」というのは「驕り高ぶらないこと」であり、そういう感情を持てるステータスを手に入れた人が選択できる対応、なのでしょうか?
日常生活の中でも、多少なりともそういう場面はあるとは思います。
上司から褒められて、そこをもっと伸ばそうと思う人もいれば、自分はこれでもう十分と調子に乗る人もいるし。
とりあえず「これからも精進してがんばります」がベターな対応、かな?
「いやいや、私なんてまだまだダメですから…」と言われたら、褒めた方も気を使うし。
「あなたみたいに凄い人でも、そんな謙虚なこと言うなんて凄いね」というのが理想形。
これは多分グラフとかに出来ることだと思うのですが、実力の有る無し線と、謙虚さの有る無し線を十字に引いた時に、どの辺りの位置が好感度が高い、というのはデータとして既にありそうな気がします。
が、そういうデータを鵜呑みにしたところで、自分や他人を客観視して判断してコミュニケーションを取る、なんて…めんどくさいー私はそういうの好きじゃないー。
コミュニケーションって楽しむためのものだと思うけど、「相手も自分も不愉快にならないこと」を主軸に考えるようになってしまうと、どんどん面倒くさくなりますね。
それで推し活を楽しんで気分転換をしていたら、相手の謙虚さが好感度のバロメーターになっているな、と改めて気付きました。
特に答えの無いブログではありますが、こうやって考えてみると
「実力が無い上に卑屈な人間or自信過剰な人間は、関わるのが面倒」
というのは分かります。
そういう人をイジるとか、フォローするとかが好きな人もいるかもしれませんが。
ま、自分のことを棚に上げて、他人のことをこんな風に選別して好き勝手言う人間の方が、よっぽど性格悪いですけどね。
その人それぞれが自由に楽しく生きていくのが今の理想の社会。
そう思っている人も多いでしょう。
でもそれ、嘘というか、理想郷というか、周囲の環境と本人のポテンシャル次第で変わるレベルのお話。
それが他人と関わるということだから。
理想の推しには近付けないけれど、でも自分なりに納得がいく人生を歩む方法、丁度よいバランスが各々見つからないと、周囲やネットの中の言葉に振り回されてしまうかもなぁ、と、ふと思いました。
「好きこそものの上手なれ」。
ある程度出来ること、出来ないことは年齢や能力的にありますが、何かしら好きで得意なことを見つけて頑張って、でもそれで成功しても謙虚な姿勢を忘れない、という人ばかりの社会になったら…
うーん、それはそれで理想的かと思いきや、新興宗教にハマっているヤバい集団の世界っぽい気もしますねぇ。
他人に迷惑をかけすぎない、孤独感に苛まれすぎない範囲で、推しを楽しむ。
そして推し活の間に「私が推してあげてる」みたいな気持ちにならず、謙虚に「楽しませてくれてありがとうございます」と思えるような感覚でいる、くらいは出来るのかな?
こう考えてみると「謙虚」というのは言葉のイメージ以上に、実際には面倒くさい感覚と価値観であり、その中で理想の対応が出来る推しってすごいな!と改めて思ったのでした。
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「自分の欠点がどこだか、本当に分かってるの?もっと必死になれば?」
と思いませんか?
音楽センスが無くて歌が下手なボーカルが「俺なんてまだまだ全然ダメ」と言っていたら
「うん、向いてないから早く現実見て別の堅実なことしたら?音楽は趣味で良いでしょ」
と思いませんか?
こういう人たちが「あの部分は良かったよ」と周囲が頑張ってフォローのつもりで褒めた時に
「わーでしょ?自分もあそこは自信あったんだ!」なんて鵜呑みにしてしまったら「あ〜あ…真に受けて馬鹿みたい」と思われそう。
また面倒くさいことに「まだまだダメだから頑張っているんだ!」というアピールをすることも、「ウザい」と思われる可能性があります。
私も先日、英語の勉強をずっと頑張っている、という話をしていた時に、友人から「アンタの英語の発音下手だよね〜私は上手いけど」と言われてビックリしました。
元々酔うとマウンティング女子になるところがある人なんですが、それから数週間ずっとモヤモヤしています。
そういう言い方されて「なにくそ、頑張ろう」と思う人もいれば、やる気を無くす人もいる。
ちなみに人生の半分以上アメリカに住み、現地の人と結婚している英語がペラペラの友人は
「英語の日常会話や熟語は難しいよね〜私もまだ旦那さんに質問することあるよ。
語学の勉強ってやってもやっても終わりが無いものなんだって気付いたんだ」
と言っていました。
同じような内容を別の友人たちに話しているのに、こんなに反応が違うっていうのも面白いところです。
ただ大抵の人は、後者の「実力があるけど謙虚」な友人が好きでしょう。
私ももう前者の友人とは、英語に関する話は二度としたくないと思っています。
「謙虚」というのは「驕り高ぶらないこと」であり、そういう感情を持てるステータスを手に入れた人が選択できる対応、なのでしょうか?
日常生活の中でも、多少なりともそういう場面はあるとは思います。
上司から褒められて、そこをもっと伸ばそうと思う人もいれば、自分はこれでもう十分と調子に乗る人もいるし。
とりあえず「これからも精進してがんばります」がベターな対応、かな?
「いやいや、私なんてまだまだダメですから…」と言われたら、褒めた方も気を使うし。
「あなたみたいに凄い人でも、そんな謙虚なこと言うなんて凄いね」というのが理想形。
これは多分グラフとかに出来ることだと思うのですが、実力の有る無し線と、謙虚さの有る無し線を十字に引いた時に、どの辺りの位置が好感度が高い、というのはデータとして既にありそうな気がします。
が、そういうデータを鵜呑みにしたところで、自分や他人を客観視して判断してコミュニケーションを取る、なんて…めんどくさいー私はそういうの好きじゃないー。
コミュニケーションって楽しむためのものだと思うけど、「相手も自分も不愉快にならないこと」を主軸に考えるようになってしまうと、どんどん面倒くさくなりますね。
それで推し活を楽しんで気分転換をしていたら、相手の謙虚さが好感度のバロメーターになっているな、と改めて気付きました。
特に答えの無いブログではありますが、こうやって考えてみると
「実力が無い上に卑屈な人間or自信過剰な人間は、関わるのが面倒」
というのは分かります。
そういう人をイジるとか、フォローするとかが好きな人もいるかもしれませんが。
ま、自分のことを棚に上げて、他人のことをこんな風に選別して好き勝手言う人間の方が、よっぽど性格悪いですけどね。
その人それぞれが自由に楽しく生きていくのが今の理想の社会。
そう思っている人も多いでしょう。
でもそれ、嘘というか、理想郷というか、周囲の環境と本人のポテンシャル次第で変わるレベルのお話。
それが他人と関わるということだから。
理想の推しには近付けないけれど、でも自分なりに納得がいく人生を歩む方法、丁度よいバランスが各々見つからないと、周囲やネットの中の言葉に振り回されてしまうかもなぁ、と、ふと思いました。
「好きこそものの上手なれ」。
ある程度出来ること、出来ないことは年齢や能力的にありますが、何かしら好きで得意なことを見つけて頑張って、でもそれで成功しても謙虚な姿勢を忘れない、という人ばかりの社会になったら…
うーん、それはそれで理想的かと思いきや、新興宗教にハマっているヤバい集団の世界っぽい気もしますねぇ。
他人に迷惑をかけすぎない、孤独感に苛まれすぎない範囲で、推しを楽しむ。
そして推し活の間に「私が推してあげてる」みたいな気持ちにならず、謙虚に「楽しませてくれてありがとうございます」と思えるような感覚でいる、くらいは出来るのかな?
こう考えてみると「謙虚」というのは言葉のイメージ以上に、実際には面倒くさい感覚と価値観であり、その中で理想の対応が出来る推しってすごいな!と改めて思ったのでした。
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