#フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

2021年05月29日
芸能 8

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昨夜観た舞台「フェイクスピア」のパンフレットを読みました。

が、そこには私が知りたいことは書かれていませんでした。

私が知りたかった、あの日航機墜落事故を題材にした理由というのは、この「コメント」に書かれていたようです。



このコメントに近いことはパンフレット内でも少し言及されていましたが、それ以外に掲載されていた内村光良との対談等を読み、個人的には

「あぁ、野田秀樹にとって、あの事故は『他人事』なのだな」

と感じています。

飛行機墜落前のパイロットの言葉に衝撃を受け、それを使って舞台にしてみたかった。

「不謹慎」は昔からあったけど、最近の「不謹慎」は何だか言葉が軽い。


そういう「言葉」に対する興味から、この舞台を考えたようですね?

舞台の感想をツイートしている方々の言葉を読んだりもしましたが、私との温度差をとても感じています。

「不謹慎、と思う私は、今のダメな口うるさいヤツなの?」と責められている気持ちと、

「いや、『不謹慎』にもやって良いこととダメなことの境界線はあるだろ」という気持ちが入り混じり、まだイマイチ消化できていません。

舞台「フェイクスピア」を観て感動し、泣いた方はたくさんいるみたい。

とにかく絶賛している方も多く、そして元ネタが日航機墜落事故であることにも感心しているような方もいて、とても違和感がありました。


私自身はあの事故の被害者でも遺族でも無い。

それでも、幼少期にあの事故があり、子供だったからこそ

「もしかしたら、あの飛行機は自分の上に落ちたのかもしれない、もしくは自分が乗っていたかもしれない」

という恐怖が、今もトラウマのように残っています。

正確な時期の前後は親に確認しないと分からないのですが、事故の起きた年と自分の年齢を考えると、多分あの事故の前後に祖父の葬儀で羽田~福岡間の飛行機に乗っていたはず。

多分それが、人生で初めて飛行機に乗った時だと思います。

滅多に飛行機に乗る機会なんて無いから、余計に「飛行機」というものに特別感がありました。

それ以外に「飛行機」に関する情報は、多分当時の私には「はだしのゲン」で読んだかテレビの戦争特集で観たB29くらいしか無かったんじゃないかな?

日航機墜落事故も原爆投下も8月に起こったこと、ということもあり、夏の青空の中を飛ぶ飛行機を見ると「怖い」と思うトラウマが出来ました。

子供の頃の記憶って、大人が思うよりも変に偏って残ってしまいますよね。

劇作家があの「コトバの一群」を本で読んで衝撃を受け、それをクリエイティブに消化してみたいなと好奇心を持った気持ちは分かります。

今の「不謹慎厨」をウザいと思う気持ちも、「コロナの情報が飛び交いすぎて言葉に現実味が無くなる違和感」も分かる。

でも…やっぱり私には、幼少期のトラウマを笑いながら見せてこられ、その上で

「これで不謹慎とか言うヤツは、芸術を分かってない」

とバカにされたかのような気持ちになっています。

そんなことは無いんですけどね。

でも「感動した~」「泣けた~」という言葉を見てしまうと、勝手に私の中では

「あ~この人達にとって、あの事故は生まれる前のよく知らないことだったり、あくまでも過去の事故で、他人事でしか無いからネタにできるんだ」

とモヤモヤが積もってしまいました。
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明石家さんまがあの飛行機に乗る予定で、収録時間の関係で助かった、という話を読んだことがあります。

大阪のラジオ収録に向かう時のことで、事故のショックでその日はさすがの彼でも言葉を失ったのだとか。

野田秀樹と明石家さんまは、大竹しのぶに関連する2人ですが、どちらも舞台をやる人。

多分ですが、明石家さんまは日航機墜落事故をあんな風に舞台にすることは考えないでしょう。

もしかしたら自分が死んでいたかもしれない事故を、エンタメにして涙を誘う、なんて、出来ない気がします。

野田秀樹ももちろん「不謹慎」について考えてはいた。

でも、個人的には私はあの結末は、やはり「不謹慎」としか思えないし、こんな時だからこそ観たい内容ではありませんでした。

「不謹慎厨」への違和感は私にもあります。

誰一人傷つけないなんて、無理なこともあると思う。

考え過ぎ、エンタメを楽しめないの?と思う時もある。

それでも私には「ひめゆりの塔の前でピースしながら記念写真を撮る外国人」を沖縄で見た時のようなモヤモヤを感じています。

昨日もちょっと書きましたが、私は当時群馬に住んでいた子供だった。

人伝にだけど、現場に駆けつけた医師の話を聞いて「怖い」と思った記憶も残っている。

野田秀樹✕高橋一生の舞台「フェイクスピア」東京公演ネタバレ感想~日本航空123便墜落事故ネタは不謹慎では?

今日は池袋の東京芸術劇場に、高橋一生の舞台「フェイクスピア」を観に行ってきました。野田秀樹の舞台観たいなと以前から思っていたし、高橋一生の舞台も観てみたかったから、この公演チケット取れた時は嬉しかった!本日初日開幕!野田秀樹作・演出・出演NODA・MAP第24回公演『フェイクスピア』5/24~7/11 東京芸術劇場プレイハウスにて。https://t.co/pCKO70J862 pic.twitter.com/45kgqkrQBf— 東京芸術劇場 (@geigeki_inf...



野田秀樹は、この程度の記憶を持っているだけの私でも「不快感」を持つという想像をしたのでしょうか?

あんな直接的な表現や、無理矢理の解釈をしなくても、「言葉」をモチーフに舞台を作れなかったのかな?

津波や地震やサリン事件や戦争やコロナ。

自分も巻き込まれたかもしれない、でも助かったニュースはたくさんある。(コロナはまだ終わっていませんが)

靴紐を結んでいたので乗る電車が1本遅れ、サリン事件に巻き込まれなかった人の話を聞いたことがあります。

その人は事件発覚後に本当にショックを受けたそうです。

残酷な事件というのは、そんな風に直接被害を受けた人以外にもショックを与えるもの。

俯瞰して見ると「風化させてはいけない」とか「他人事と思っちゃいけない」なんて言葉も出てくるかもしれないけど、そんな風には思えない、忘れたいと思う人もいる。

そういう人の気持ちをどこまで汲み取るかが「不謹慎」の境界線にあると思います。


言い方がとても悪いけれど、私は「フェイクスピアを観て泣けた」、「観て良かった、もう一度観たい」と言う人の気持ちがわかりません。

いや、役者さん達は素晴らしかったし、舞台演出も良かったから、そこは私も観たい。

衣装は素敵だな~と思っていたら、ひびのこづえだったんですね。

今も変わらず素敵な衣装を作成されていて、さすがだなと思いました。

でも内容を思い出すと、同時にネットで観た無残な遺体の写真、ボイスレコーダーのパイロットの声、飛行機を見て恐怖心を抱いた幼少期の自分を思い出してしまい、暗い気持ちになってしまいます。

「舞台を観て受ける良い衝撃」という範疇に入っていません。

もし自分が被害者遺族で、あんな風に「コトバの一群」を感動ものとして扱われていると知ったら、虚無感に襲われるんじゃないかなと思います。

ああ、他人にとってはそんな風に、もうネタ扱い出来るものなんだ、と。

「コレを題材にするのは、まだ早いんじゃないか、と思った」

という意見も見かけました。

私は「Fukushima 50」を観ていませんが、それも同じく「まだ早い」と思っているからです。

それで「不謹慎厨」のレッテルを貼られるなら、もうそれで良い。

芸術を理解できないヤツだと思われるなら、もう本当にそれで良い。

こちらは「倫理観が無いヤツ」と思うだけの平行線だから。

他人の経験や言葉には色んなものが詰まっていて、死に直面した人の言葉の重さに触れると、想像しきれないくらい辛い時があります。

書きながらふと思い出したのは、ひめゆりの塔で読んだ沖縄戦体験者の女性の作文でした。

いつも美人なことを自慢し、ちょっとした肌荒れでも大騒ぎしていた友達が、銃撃を受けて顔の皮膚が無残にめくれて亡くなったということが書かれていたのですが、読んだ時に正直

「これを書いた人は、美人なのを鼻にかけていた友達のことを嫌いだったのかな?」

と思ってしまったのを覚えています。

でもだからこそ、痛烈に記憶に残っていて、敢えてそのことを作文の題材にしたのかなと思いました。

同じ文章を読んでも、違う受け取り方をする人もいるでしょう。

皆がみんな同じ言葉に触れて同じように思うわけじゃない。

だからこそ、言葉は面白い。

でも、面白いと感じられる時と、不謹慎だから嫌だと感じる時がある。

私もまだその境界線は明確に分かっていません。

ただ、この舞台であそこまで生々しく取り上げた上に、最後に良い終わりのようにしてしまったことには、違和感しかありません。

ノンフィクションとフィクションの境界線を楽しむにしても、限度があると思っています。

そこまで思う理由は、冒頭に書いたように、私にとっては日航機墜落事故がものすごく遠い他人事とは思えないから。

それだけで、あの高橋一生たちの素晴らしい演技の記憶を封印することになるのも口惜しい。

このやり場のない気持ち、パンフレットを読んだら昇華出来るかなと思いましたが、出来ませんでした。

野田秀樹がやりたかったことは、何となく分かる。

でも受け入れられない。

それが、この「フェイクスピア」を観た私の感想です。
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昭和おじさん  

思うこと

まずあなた一人の為に芸術は有るのでは無いと思います。
ただし全ての人が絶賛する事はあり得ないのでご自分の意見を表明される事は素晴らしい行為です。
あなたの度重なる投稿から私が思ったのは自分の感覚を信じるだけでなく他者が何故そう思うのか?受け入れる度量も必要なのではという事です。
因みに私は事故当時充分大人でしたが今回涙を抑える事が出来ませんでした。
それは僕と同い年の野田さんが今蔓延しているフェイクを告発し「生きろ!」とこの舞台で叫び続けていたからです。
昭和おじさん

2021年05月29日 (土) 21:58
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
芸術は自分一人のためにある、なんて全く思っていません。
また、感動した方のことは「事故を他人事と思っているからか」と書いたと思います。
また、「生きろ」のメッセージを伝えるために、あそこまで事実を使う必要があったのか、とも。

私に「他人の気持ちを考える度量を持て」と説教するコメントなのかな?と、正直受けとりました。
それは「傲慢」と感じています。
(意図を汲み取れていなかったら、すみません)

2021年05月30日 (日) 06:31

通りすがり  

不謹慎と言うのはダメじゃないと思います。
でも、今なにかつらいことがあって、これをきっかけに生きる力をもらった人も少なくともいると思います。
それを、否定することこそ「傲慢」
作品に対する感想は自由ですが、感動している人を否定するのは違うと思います。
そういう人もいるんだな、自分とは違う感じ方をする人がいるんだな、でいいじゃないですか。

2021年06月02日 (水) 11:16
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。

私は感動した人を否定していませんし、そんな0か100の押し付けと受け取られないよう書いたつもりなのですが、何故そのように受け取られたのでしょうか?

感動した人の気持ちが分からない=否定、と捉えられたんですか?

その後に、事故への関心度の違いか、等書いているのですが…

2021年06月02日 (水) 12:57

昨日観た人  

タイトルなし

舞台を見た人の数だけ当然いろんな受け止め方があると思います。見る人の年齢や、あの事故にどれだけ関係していたかや、どれだけ心を寄せていたかによっても違ってくるかもしれません。当時学生だった私は、心を痛めながら食い入るように新聞を読みました。私は舞台を観て、衝撃を受けました。結末に向かって心臓の鼓動が早くなっていき「いつの間にかあの事故の記憶が薄らいでいた私」を思い出しました。愛する人を残して突然逝かなければならなかった人を思い涙が流れました。あの当時から歳を重ねて思うのは、あれは決して他人事ではなく、明日自分にも起こりうることだということです。人生の折り返し点を過ぎ、更にこの不安な状況。嫌でも死を意識します。あの箱には生きようとして最後まで頑張った父の声が入っていたんですね。帰宅途中、久しぶりに息子に会って、外で珈琲片手に話をしました。
舞台は見せる側にも見る側にも、或る覚悟がいるのかな。一生さんも「ことの重大さ」「引き受ける覚悟」に言及されてますし、観客もわざわざチケット入手して観に行く。
野田さんは、今のご自分の年齢とこの状況での、この作品なのかなと勝手に想像しています。
それにしても、演じている人たちのエネルギー凄かった。。。。

2021年06月04日 (金) 03:06

わたしもです  

わたしもまったく同じ感想です。
昨日観劇してきたのですが、最後はしんどすぎて会場から立ち去りたい気分でした。
もう2度とみたくありません。
フェイクスピアのチラシにあったように、「コトバの一群」をなんとか舞台化できないかという舞台人的好奇心もあまり好きではありませんし、百歩譲ってそれを許容したとしても事故という現実を昇華できるほどの傑作にも思えませんでした。
賞賛の多い中こういったブログを書いていただきありがとうございます。

2021年06月05日 (土) 14:59
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
息子さんとお話出来て良かったですね!
役者さん達は本当に素晴らしかったと思います。

コメントを読んで思い出したのは、私は長生きに関心が無く、「生きる」ということへの前向きなメッセージにも共感出来ない方で、以前一回り上の従姉妹に話したら
「若いうちはそう思うけど、人は歳を取るほど生に執着するようになるもんだよ。
お年寄りになると、90歳を越えたい、100歳を越えたい、と言い出したりするの」
と言われたことです。

野田秀樹が年齢的に、自身の舞台でコレを題材にしたい、「生きる」をメッセージにしたい、と思ったタイミングが今で、私はそれにピンとこない状況なのかな、と思いました。

2021年06月06日 (日) 15:19
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
全体的には称賛する感想が多いようですね。
誹謗中傷ではなくても、ネガティブな感想自体SNS投稿したり、口にすべきじゃない、という価値観もある気がします。

知人医師にこの舞台の話をしたところ、あの時は大勢の犠牲者の身元確認のために、群馬だけでなく近県の医師がかき集められた、と聞きました。
その時の資料の写真を教授から見せられ
「この悲惨な状態でも仕事出来る覚悟が無いなら、解剖医になるのは止めるように」
と言われたそうです。
ネットに上がっているような写真はまだマシな方のレベルだったそうで、そういう事故を美談のネタにするなんて…と同意されました。

賛否両論の境界線の中に「感動」と「不謹慎」の線引きがあるのかなと思うのですが、そこについて語り辛い空気がある気がします。

2021年06月06日 (日) 15:42