#フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

2021年05月29日
芸能 17

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昨夜観た舞台「フェイクスピア」のパンフレットを読みました。

が、そこには私が知りたいことは書かれていませんでした。

私が知りたかった、あの日航機墜落事故を題材にした理由というのは、この「コメント」に書かれていたようです。



このコメントに近いことはパンフレット内でも少し言及されていましたが、それ以外に掲載されていた内村光良との対談等を読み、個人的には

「あぁ、野田秀樹にとって、あの事故は『他人事』なのだな」

と感じています。

飛行機墜落前のパイロットの言葉に衝撃を受け、それを使って舞台にしてみたかった。

「不謹慎」は昔からあったけど、最近の「不謹慎」は何だか言葉が軽い。


そういう「言葉」に対する興味から、この舞台を考えたようですね?

舞台の感想をツイートしている方々の言葉を読んだりもしましたが、私との温度差をとても感じています。

「不謹慎、と思う私は、今のダメな口うるさいヤツなの?」と責められている気持ちと、

「いや、『不謹慎』にもやって良いこととダメなことの境界線はあるだろ」という気持ちが入り混じり、まだイマイチ消化できていません。

舞台「フェイクスピア」を観て感動し、泣いた方はたくさんいるみたい。

とにかく絶賛している方も多く、そして元ネタが日航機墜落事故であることにも感心しているような方もいて、とても違和感がありました。


私自身はあの事故の被害者でも遺族でも無い。

それでも、幼少期にあの事故があり、子供だったからこそ

「もしかしたら、あの飛行機は自分の上に落ちたのかもしれない、もしくは自分が乗っていたかもしれない」

という恐怖が、今もトラウマのように残っています。

正確な時期の前後は親に確認しないと分からないのですが、事故の起きた年と自分の年齢を考えると、多分あの事故の前後に祖父の葬儀で羽田~福岡間の飛行機に乗っていたはず。

多分それが、人生で初めて飛行機に乗った時だと思います。

滅多に飛行機に乗る機会なんて無いから、余計に「飛行機」というものに特別感がありました。

それ以外に「飛行機」に関する情報は、多分当時の私には「はだしのゲン」で読んだかテレビの戦争特集で観たB29くらいしか無かったんじゃないかな?

日航機墜落事故も原爆投下も8月に起こったこと、ということもあり、夏の青空の中を飛ぶ飛行機を見ると「怖い」と思うトラウマが出来ました。

子供の頃の記憶って、大人が思うよりも変に偏って残ってしまいますよね。

劇作家があの「コトバの一群」を本で読んで衝撃を受け、それをクリエイティブに消化してみたいなと好奇心を持った気持ちは分かります。

今の「不謹慎厨」をウザいと思う気持ちも、「コロナの情報が飛び交いすぎて言葉に現実味が無くなる違和感」も分かる。

でも…やっぱり私には、幼少期のトラウマを笑いながら見せてこられ、その上で

「これで不謹慎とか言うヤツは、芸術を分かってない」

とバカにされたかのような気持ちになっています。

そんなことは無いんですけどね。

でも「感動した~」「泣けた~」という言葉を見てしまうと、勝手に私の中では

「あ~この人達にとって、あの事故は生まれる前のよく知らないことだったり、あくまでも過去の事故で、他人事でしか無いからネタにできるんだ」

とモヤモヤが積もってしまいました。
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明石家さんまがあの飛行機に乗る予定で、収録時間の関係で助かった、という話を読んだことがあります。

大阪のラジオ収録に向かう時のことで、事故のショックでその日はさすがの彼でも言葉を失ったのだとか。

野田秀樹と明石家さんまは、大竹しのぶに関連する2人ですが、どちらも舞台をやる人。

多分ですが、明石家さんまは日航機墜落事故をあんな風に舞台にすることは考えないでしょう。

もしかしたら自分が死んでいたかもしれない事故を、エンタメにして涙を誘う、なんて、出来ない気がします。

野田秀樹ももちろん「不謹慎」について考えてはいた。

でも、個人的には私はあの結末は、やはり「不謹慎」としか思えないし、こんな時だからこそ観たい内容ではありませんでした。

「不謹慎厨」への違和感は私にもあります。

誰一人傷つけないなんて、無理なこともあると思う。

考え過ぎ、エンタメを楽しめないの?と思う時もある。

それでも私には「ひめゆりの塔の前でピースしながら記念写真を撮る外国人」を沖縄で見た時のようなモヤモヤを感じています。

昨日もちょっと書きましたが、私は当時群馬に住んでいた子供だった。

人伝にだけど、現場に駆けつけた医師の話を聞いて「怖い」と思った記憶も残っている。

野田秀樹✕高橋一生の舞台「フェイクスピア」東京公演ネタバレ感想~日本航空123便墜落事故ネタは不謹慎では?

今日は池袋の東京芸術劇場に、高橋一生の舞台「フェイクスピア」を観に行ってきました。野田秀樹の舞台観たいなと以前から思っていたし、高橋一生の舞台も観てみたかったから、この公演チケット取れた時は嬉しかった!本日初日開幕!野田秀樹作・演出・出演NODA・MAP第24回公演『フェイクスピア』5/24~7/11 東京芸術劇場プレイハウスにて。https://t.co/pCKO70J862 pic.twitter.com/45kgqkrQBf— 東京芸術劇場 (@geigeki_inf...



野田秀樹は、この程度の記憶を持っているだけの私でも「不快感」を持つという想像をしたのでしょうか?

あんな直接的な表現や、無理矢理の解釈をしなくても、「言葉」をモチーフに舞台を作れなかったのかな?

津波や地震やサリン事件や戦争やコロナ。

自分も巻き込まれたかもしれない、でも助かったニュースはたくさんある。(コロナはまだ終わっていませんが)

靴紐を結んでいたので乗る電車が1本遅れ、サリン事件に巻き込まれなかった人の話を聞いたことがあります。

その人は事件発覚後に本当にショックを受けたそうです。

残酷な事件というのは、そんな風に直接被害を受けた人以外にもショックを与えるもの。

俯瞰して見ると「風化させてはいけない」とか「他人事と思っちゃいけない」なんて言葉も出てくるかもしれないけど、そんな風には思えない、忘れたいと思う人もいる。

そういう人の気持ちをどこまで汲み取るかが「不謹慎」の境界線にあると思います。


言い方がとても悪いけれど、私は「フェイクスピアを観て泣けた」、「観て良かった、もう一度観たい」と言う人の気持ちがわかりません。

いや、役者さん達は素晴らしかったし、舞台演出も良かったから、そこは私も観たい。

衣装は素敵だな~と思っていたら、ひびのこづえだったんですね。

今も変わらず素敵な衣装を作成されていて、さすがだなと思いました。

でも内容を思い出すと、同時にネットで観た無残な遺体の写真、ボイスレコーダーのパイロットの声、飛行機を見て恐怖心を抱いた幼少期の自分を思い出してしまい、暗い気持ちになってしまいます。

「舞台を観て受ける良い衝撃」という範疇に入っていません。

もし自分が被害者遺族で、あんな風に「コトバの一群」を感動ものとして扱われていると知ったら、虚無感に襲われるんじゃないかなと思います。

ああ、他人にとってはそんな風に、もうネタ扱い出来るものなんだ、と。

「コレを題材にするのは、まだ早いんじゃないか、と思った」

という意見も見かけました。

私は「Fukushima 50」を観ていませんが、それも同じく「まだ早い」と思っているからです。

それで「不謹慎厨」のレッテルを貼られるなら、もうそれで良い。

芸術を理解できないヤツだと思われるなら、もう本当にそれで良い。

こちらは「倫理観が無いヤツ」と思うだけの平行線だから。

他人の経験や言葉には色んなものが詰まっていて、死に直面した人の言葉の重さに触れると、想像しきれないくらい辛い時があります。

書きながらふと思い出したのは、ひめゆりの塔で読んだ沖縄戦体験者の女性の作文でした。

いつも美人なことを自慢し、ちょっとした肌荒れでも大騒ぎしていた友達が、銃撃を受けて顔の皮膚が無残にめくれて亡くなったということが書かれていたのですが、読んだ時に正直

「これを書いた人は、美人なのを鼻にかけていた友達のことを嫌いだったのかな?」

と思ってしまったのを覚えています。

でもだからこそ、痛烈に記憶に残っていて、敢えてそのことを作文の題材にしたのかなと思いました。

同じ文章を読んでも、違う受け取り方をする人もいるでしょう。

皆がみんな同じ言葉に触れて同じように思うわけじゃない。

だからこそ、言葉は面白い。

でも、面白いと感じられる時と、不謹慎だから嫌だと感じる時がある。

私もまだその境界線は明確に分かっていません。

ただ、この舞台であそこまで生々しく取り上げた上に、最後に良い終わりのようにしてしまったことには、違和感しかありません。

ノンフィクションとフィクションの境界線を楽しむにしても、限度があると思っています。

そこまで思う理由は、冒頭に書いたように、私にとっては日航機墜落事故がものすごく遠い他人事とは思えないから。

それだけで、あの高橋一生たちの素晴らしい演技の記憶を封印することになるのも口惜しい。

このやり場のない気持ち、パンフレットを読んだら昇華出来るかなと思いましたが、出来ませんでした。

野田秀樹がやりたかったことは、何となく分かる。

でも受け入れられない。

それが、この「フェイクスピア」を観た私の感想です。
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昭和おじさん  

思うこと

まずあなた一人の為に芸術は有るのでは無いと思います。
ただし全ての人が絶賛する事はあり得ないのでご自分の意見を表明される事は素晴らしい行為です。
あなたの度重なる投稿から私が思ったのは自分の感覚を信じるだけでなく他者が何故そう思うのか?受け入れる度量も必要なのではという事です。
因みに私は事故当時充分大人でしたが今回涙を抑える事が出来ませんでした。
それは僕と同い年の野田さんが今蔓延しているフェイクを告発し「生きろ!」とこの舞台で叫び続けていたからです。
昭和おじさん

2021年05月29日 (土) 21:58
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
芸術は自分一人のためにある、なんて全く思っていません。
また、感動した方のことは「事故を他人事と思っているからか」と書いたと思います。
また、「生きろ」のメッセージを伝えるために、あそこまで事実を使う必要があったのか、とも。

私に「他人の気持ちを考える度量を持て」と説教するコメントなのかな?と、正直受けとりました。
それは「傲慢」と感じています。
(意図を汲み取れていなかったら、すみません)

2021年05月30日 (日) 06:31

通りすがり  

不謹慎と言うのはダメじゃないと思います。
でも、今なにかつらいことがあって、これをきっかけに生きる力をもらった人も少なくともいると思います。
それを、否定することこそ「傲慢」
作品に対する感想は自由ですが、感動している人を否定するのは違うと思います。
そういう人もいるんだな、自分とは違う感じ方をする人がいるんだな、でいいじゃないですか。

2021年06月02日 (水) 11:16
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。

私は感動した人を否定していませんし、そんな0か100の押し付けと受け取られないよう書いたつもりなのですが、何故そのように受け取られたのでしょうか?

感動した人の気持ちが分からない=否定、と捉えられたんですか?

その後に、事故への関心度の違いか、等書いているのですが…

2021年06月02日 (水) 12:57

昨日観た人  

タイトルなし

舞台を見た人の数だけ当然いろんな受け止め方があると思います。見る人の年齢や、あの事故にどれだけ関係していたかや、どれだけ心を寄せていたかによっても違ってくるかもしれません。当時学生だった私は、心を痛めながら食い入るように新聞を読みました。私は舞台を観て、衝撃を受けました。結末に向かって心臓の鼓動が早くなっていき「いつの間にかあの事故の記憶が薄らいでいた私」を思い出しました。愛する人を残して突然逝かなければならなかった人を思い涙が流れました。あの当時から歳を重ねて思うのは、あれは決して他人事ではなく、明日自分にも起こりうることだということです。人生の折り返し点を過ぎ、更にこの不安な状況。嫌でも死を意識します。あの箱には生きようとして最後まで頑張った父の声が入っていたんですね。帰宅途中、久しぶりに息子に会って、外で珈琲片手に話をしました。
舞台は見せる側にも見る側にも、或る覚悟がいるのかな。一生さんも「ことの重大さ」「引き受ける覚悟」に言及されてますし、観客もわざわざチケット入手して観に行く。
野田さんは、今のご自分の年齢とこの状況での、この作品なのかなと勝手に想像しています。
それにしても、演じている人たちのエネルギー凄かった。。。。

2021年06月04日 (金) 03:06

わたしもです  

わたしもまったく同じ感想です。
昨日観劇してきたのですが、最後はしんどすぎて会場から立ち去りたい気分でした。
もう2度とみたくありません。
フェイクスピアのチラシにあったように、「コトバの一群」をなんとか舞台化できないかという舞台人的好奇心もあまり好きではありませんし、百歩譲ってそれを許容したとしても事故という現実を昇華できるほどの傑作にも思えませんでした。
賞賛の多い中こういったブログを書いていただきありがとうございます。

2021年06月05日 (土) 14:59
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
息子さんとお話出来て良かったですね!
役者さん達は本当に素晴らしかったと思います。

コメントを読んで思い出したのは、私は長生きに関心が無く、「生きる」ということへの前向きなメッセージにも共感出来ない方で、以前一回り上の従姉妹に話したら
「若いうちはそう思うけど、人は歳を取るほど生に執着するようになるもんだよ。
お年寄りになると、90歳を越えたい、100歳を越えたい、と言い出したりするの」
と言われたことです。

野田秀樹が年齢的に、自身の舞台でコレを題材にしたい、「生きる」をメッセージにしたい、と思ったタイミングが今で、私はそれにピンとこない状況なのかな、と思いました。

2021年06月06日 (日) 15:19
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
全体的には称賛する感想が多いようですね。
誹謗中傷ではなくても、ネガティブな感想自体SNS投稿したり、口にすべきじゃない、という価値観もある気がします。

知人医師にこの舞台の話をしたところ、あの時は大勢の犠牲者の身元確認のために、群馬だけでなく近県の医師がかき集められた、と聞きました。
その時の資料の写真を教授から見せられ
「この悲惨な状態でも仕事出来る覚悟が無いなら、解剖医になるのは止めるように」
と言われたそうです。
ネットに上がっているような写真はまだマシな方のレベルだったそうで、そういう事故を美談のネタにするなんて…と同意されました。

賛否両論の境界線の中に「感動」と「不謹慎」の線引きがあるのかなと思うのですが、そこについて語り辛い空気がある気がします。

2021年06月06日 (日) 15:42

おそれいります  

私も同意見です

好きな役者さんが出る予定で興味がありネタバレを検索していて衝撃を受けました。
私は舞台を見ていないのにかなり動揺しました。リアルタイムで事故を知ってる年代です。
あの事故をモデルにしたりモチーフにした物語はありますがボイスレコーダーのやり取りをそのままエンターテイメントとして使用した事は全く別次元だと思います。被害者の方への冒涜とさえ思います。
それで利を得てる事に恐ろしさに近い嫌悪感を感じました。その部分はもう野田さんの脚本ではない。
感想を読めばほぼ絶賛。きっと演者の方々が素晴らしかったのかもしれませんが。
いくら良い終わり方だとしてもあの音声を聞いた私からしたら商業利用しようとする感覚がわかりません。あの音声から起こした台詞を聞いてよし私は強く生きていこうと言う気持ちに直結しません。
長々と失礼致しました。読ませていただけて本当にありがとうございます。

2021年06月24日 (木) 02:28

サーバル猫  

同感です

初めまして。
昨日舞台を見てきました。演者さんの熱演は見応えがありましたし、舞台美術も衣装も素晴らしかったです。感動で涙する人がいたことも理解は出来ますし、それを否定する気持ちはうららさん同様全くありません。
ただ、個人的には複雑な気持ちになりました。「どーんといこうや」で(えっ……)となり、CVRの完全再現をするんだと察した時に、気持ちがすーっと引いて行きました。
123便の事故当時、リアルタイムで見聞きした事故のインパクトは実感として残っています。その後、「墜落遺体」「墜落の夏」といったノンフィクションを読みました。YouTubeにある、CVRの音声と飛行跡略図を突合した動画も過去に何度も視聴しました。野田さんがあの声に圧倒された気持ちも、とてもよく分かります。
ただ3つの点で抵抗を感じました。まず、これをネタバレ厳禁な物語のネタ部分として使った点。
事故は既に様々な形でフィクションの題材になっています。ただ、大抵の作品は広報の段階で、当該事故を扱ったものと分かります。あの事故がエンタメ化されることに抵抗がある人は、事前に避けることが出来ます。本作はそのような回避が出来ないスタイルです。
次に、フィクションの感動の要の部分をノンフィクションの言葉の力に委ねてしまっているようにも見える点。「創り変えられてはならない強いコトバ」はその通りなんですが、個人的にはフィクションでその強さを目指すという矜持を見たかったです。
最後に、野田さんがCVRのインパクトではなくこの事故そのものをどう受け止めているかが伝わってこなかった点。パンフレットを読みましたが、ネタバレ厳禁のためか事故について正面から記述した箇所はありません。そうなると、言の葉マコトの葉のコントラストを表現する道具としてのみCVRの言葉を使っているようにも見え(野田さんが自ら不謹慎という表現をしていることも、その印象を助長しました)、それがあの事故のとてつもない重さとは不釣り合いな気がしたのです。
繰り返しますが、この舞台を賞賛する人達の感動を否定する気は毛頭ありません。感想には自由があるからこそ、引っ掛かりを感じた人間の感想も否定されないのが健全だと信じています。

普段は映画ばかり見ていて、ネットでレビューをあさって回るのですが、どんな名作でも大概批判的なレビューは当たり前のようにあります。それは受け止め方の違いでしかありませんし、それに対しいちいち受け入れる度量云々と言ってくるリプも目にした記憶がありません。
今回珍しく舞台レビューを探し回って、批判(しつこいですがこれは他者の感想の否定ではありません)の含まれるレビューを「他者の感動の否定→狭量、傲慢」と誤って解釈する人の存在に驚きました。これはそのまま、その解釈をした人に当てはまるのでは?線引きを語りづらい空気が確かにありますね。
長文になり本当に申し訳ありません。

2021年07月21日 (水) 14:22
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
「ネタバレ」にこの事故が扱われる違和感を、「年齢案件」と思う人がいるっぽいな、とその後Twitterを見ていて思いました。

野田秀樹は「ネタバレを見ないで観劇して欲しい」という旨発言していた、というツイートをいくつか見かけたので、それが本当ならやっぱり「あの事故に繋がるなんて!」と思われるのを良い意味に捉えているのかな?と感じましたが…

オリンピック関係者の「不謹慎」は大勢に盛大に叩かれ、この舞台のネタは「不謹慎と言うのは狭量」となる、という線引きに、個人的には不思議な気持ちになります。

2021年07月22日 (木) 08:50

えみこ  

同感です

本日舞台を観ました。
あの日、父が出張帰りに123便を予約したけれど直前になって搭乗せず、新幹線で帰阪しました。事故直後、会社から搭乗しているかも知れないという連絡があり、テレビニュースに釘付けになりました。もうだめだと思っていた夜中に、事故の報道を知らずに父が帰宅しました。その父も7年前に亡くなりました。今でもあの夜のこと、関連する報道等が忘れられません。
亡くなられた乗客の方々の家族や友人が観劇されていたらと思うと恐ろしいです。

2021年07月24日 (土) 23:14
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

えみこさん

コメントありがとうございます。

お父さんが乗っていたかも、と連絡が来た時のご家族、連絡をした同僚の方の当時のお気持ちを想像するだけでも、どれだけ不安で怖かったろうと胸が締め付けられます。

お父さんも当時、大変なショックを受けられたでしょうね…

自分がキャンセルした席に他の人が乗っていたかも、となったら、私ならもう当分立ち上がれず、一生忘れられなくなると思います。

遺族の方の中にも、取り上げられて良かったと思う方もいれば、憤る方もいる舞台だったように見受けられます。

まだ情報開示を求めている遺族の方には、
「もう過去のことだから美談ネタにする」
という感覚をどう捉えられるのか、そこまで野田秀樹は考えていたのか、いつかどこかで語るのを聞いてみたいと思いました。

2021年07月25日 (日) 21:37

ウリエル  

ホッとしました。

初めましてm(_ _)m
普段snsをほとんどやらず、余り感心もないのですが、フェイクスピア絶賛のツイッター等の嵐になんだか辛く、思わず否定派を探して辿り着きました。
高橋一生氏、橋爪功氏のファンで、理解したいと思い2度観ました。
でも2回とも前半はとても眠く(笑)ラスト辺りは観るのがやはり辛くなりました。
あの事故に直接関係はありませんが、仕事場で息を呑んでニュースを見ていたのを昨日の様に覚えています。
あの感覚は一生忘れないと思います。
高橋一生氏はすべてに素晴らしく白石加代子氏も橋爪功氏もとてもがチャーミングでした。
でも私はあの舞台を面白かった、感動的だったとは言えません。
もの凄い違和感を感じると言うのが正直なところです。
他にも同じ様に感じられる方々がいてホッとしました。
それぞれでいいんだと思います。
感性は何にも縛られる物ではありませんから。
又読ませて頂きます。
ありがとうございましたm(_ _)m

2021年07月27日 (火) 20:27
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
個人的には、野田さんも「不謹慎」について考えたとのことなので、その部分の意見が色々集まるのは悪いことじゃないと思うのですが…
「皆んな絶賛してるから、そうしないとダメ」
みたいなのもフェイクな世界を作るのかなぁ、と思ったりもしました。
それはそれで、ちょっと言葉の怖さもありますね。

2021年08月01日 (日) 20:44

-  

私は、主演の高橋一生さんのファンという理由で見に行きました。
他の方々の演技もすばらしく、途中、笑ったり舞台の美しさに息を呑んだりしていました。
聞いたことのあるフレーズだなと思いながら、何をモチーフにしたものかわからず後半まで進み、
はっ!
と気付いた時には、笑っていた自分の後ろめたさや、何とも言えない気持ちにどう処理をしていいのかわからなくなりました。
とにかく楽しみにしていたお芝居だったので、楽しく、晴れやかな気持ちで帰路につけるとおもっておりました。
この時期に好きな役者さんのお芝居を見れたことがよかったと、それだけを気持ちに留め、モヤモヤに蓋をして帰宅しました。

絶賛しておられる方が多く、芸術も難しい事も理解できないから、私にとっては少し理解に難しかったんだと、モヤモヤに触れたくなくてあえてあまり賛否を読まずにおりました。

WOWOWで放映決定のニュースを見て、どうしても喜んでもう一度見ようと思う気になれず、色んな方の意見をみてみようとこちらの記事にたどりつきました。
モヤモヤが、私の中にストンと落ちました。

舞台の演出なども私には評価するほど芸術感はありません。
ただ、おもしろかった。たのしかった。すきだった。そうではなかった。
と感じて今までお芝居をみておりましたが、
どうしても、
好き にはなれませんでした。
私もなぜ、題材にそれを野田さんが選んだのか意図がわかりませんが、
感じ方はそれぞれで、
納得し、感動されている方々も多く、それだけ難しく、賛否が真っ二つに割れるテーマなのだろうと思います。

ファンとしては録画して保存したいのですが、私は感情面でできそうにもありません。

2021年09月21日 (火) 22:20
urarara0724

うらら(管理人)  

Re: #フェイクスピア パンフレット読後ネタバレ感想~「コトバの一群」を「不謹慎」と言うのはダメなのか?

コメントありがとうございます。
高橋一生、素敵ですよね!
彼のファンはフェイクスピアを絶賛している方が多いのかな、とTwitterを見ていて思っていましたが、モヤッとしたけど言えないな…という方もいたのかな、とコメント拝見して思いました。

せっかく前半笑えていたのに、それを後ろめたく思ってしまうのは残念ですね…
もし事前にテーマを伝えられていたら、それはそれで笑えなかったり、種明かしされた時の衝撃が薄れたのかもしれませんが(ネタバレ読まないで観劇すべき、という方もいましたし…)、こういう実在の事件を種明かし扱いにすることには私は違和感があります…

多数決を取ることではありませんが、アンチコメントではない限り、「不謹慎」という感情について色々思う観客がいたということに、野田秀樹がどう思うかいつか聞けたらまた感じ方が変わることもあるのかなぁと思います。
(語るべき、とまでは思いませんが)

2021年09月22日 (水) 23:13