萩尾望都「一度きりの大泉の話」ネタバレ感想~竹宮惠子、大泉サロンとの決別と確執告白本
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ゴールデンウィーク中に久々に萩尾望都の「残酷な神が支配する」を読み、ネタバレ感想を書いた後に、ふと
「今、Twitterでこの漫画や、萩尾望都に関心がある人ってどのくらいいるんだろう?」
と思って検索をしました。
ポーの一族の続編が出ているので、人気はあるはず。
でも「残酷な神が支配する」自体は、どんな人がどんな感想を抱いているんだろう?
そうしたら、萩尾望都が新刊で竹宮惠子やBLについて触れている、というツイートがたくさんでてきました。
どの人たちも「ゴールデンウィークに読もうと思って買った」と書いていて、チェックすると先月発売されたばかりのエッセイだと分かりました。
ツイートしている方々はリアルタイムで掲載誌を読んでいたようで、そのくらいの年代の方がこんなにTwitterを利用していることにもビックリ。
あまりに話題なので気になって、私も即買い、そして一気に読みました。
高いな…と思う値段だったけど…「残酷な神が支配する」でまた一層萩尾望都に関心が湧いたし、女版トキワ荘「大泉サロン」とか「花の24年組」と伝説のように語られている少女漫画の歴史にも関心があるし。
そして読み終わった今、Twitterで見かけた人たちのように、重いような、なんとも言えない気持ちになっています…

一度きりの大泉の話
アラフォーの私は、母が少女漫画雑誌をたくさん買う人だったので、萩尾望都の作品は掲載誌でいくつか読んできています。
竹宮惠子は当時、京都精華大学で教授を始めたことをエッセイ漫画にして連載していました。
その後、「マンガ好きとしては、キチンと過去の名作を知っておかないといけない」と思い、文庫版で「風と木の詩」も買いましたが、実はあまりピンと来ず…

風と木の詩 (1)
萩尾望都の作品は色々買ったり、図書館で借りて読んだりしました。
どちらも「ギムナジウム」に通う美少年が出てくるBLの先駆けを取り扱った人、という認識です。
お二人共SFを描いていたようだけど、私はイマイチSFには興味が無く、萩尾望都の人間関係を抉り取りながら詩的に描く作品は好き。
西炯子、よしながふみの作品には竹宮惠子のことが時々出てきていて、とにかく「ジルベール」が美少年の代表となっているのは知っていますが、正直「風と木の詩」のストーリー自体は曖昧にしか覚えていません。
ジルベールに全く共感出来ず、そして暗い終わり方だった記憶はあるのですが…
萩尾望都のことは、今市子がエッセイマンガで何度も取り上げていて、本当に神として心酔していると言っていました。
「一度きりの大泉の話」の中には色んな方々が出てきて、その中で私が知っているのは山岸凉子と花郁悠紀子でした。
花郁悠紀子は確か山岸凉子のエッセイコミックに出てきていて、波津彬子の姉であり、既に故人だと知ったくらいの知識なのですが…
波津彬子の連載は、ホラー漫画好きなので読んでいました。
当時の少女漫画家さん達は頻繁に交流をしていたんだなぁ、そう言えばよく漫画家さん同士が電話しながら原稿を描くシーンって見るよな、くらいの認識だった「花の24年組」。
大島弓子の名前も少し「一度きりの大泉の話」には出てきますが、私は大島弓子は社会人になってから、同期に借りて一気に読み、他の作品もいくつか買って読んでいたけど、萩尾望都や竹宮惠子とは別の引き出しに入れています。
その程度の知識しかなかった私は、竹宮惠子と萩尾望都が2年間同居し、それから50年間絶縁状態になっていることを知りませんでした。
今回萩尾望都がこの本を出した理由は、竹宮惠子が当時のことに触れた本を出し、以降各所から対談やドラマ化の話が舞い込んできて、その都度断りながらも当時を思い出して気持ちが暗くなるので、こうして出版をすることでもうそっとしておいて欲しい、ということなのだそうです。
なので萩尾望都の「一度きりの大泉の話」は、竹宮惠子の「少年の名はジルベール」とセットとして合わせて読んでいる方が多いみたい。

【電子版限定特典付】 少年の名はジルベール (小学館文庫)
私はまだこちらは読むか検討中です。
「一度きりの大泉の話」は、萩尾望都が漫画家デビューするまでの経緯、既に売れっ子だった竹宮惠子に誘われて同居をしたこと、当時その部屋に集まっていた仲間たちのこと、同居解消から盗作疑惑で絶縁したこと、昨今のマンガ業界について書かれていました。
この盗作疑惑のことを、私はリアタイ世代ではないので知りません。
当時「ポーの一族」と「風と木の詩」はどちらもギムナジウムが出てくるので、それで萩尾望都が設定を盗用したと言われたそうです。
この本の中で萩尾望都は何度も「私には少年愛の世界は理解できない」という旨が書かれていて、それに少し驚きました。
あれ?萩尾望都は「残酷な神が支配する」以外にも、「トーマの心臓」とか「ポーの一族」とか、やっぱりBL的なものを描いていたと思うのだけど…
そうなるキッカケとして、竹宮惠子とものすごく親しかった増山法恵さんの名前が何度も出てきました。
少年が大好きだという彼女は、BL的な内容の作品をたくさんオススメしてくれていたそうです。
2年間の同居は竹宮惠子側からの申し出で解消となり、その後萩尾望都は竹宮惠子と増山法恵の2人に呼び出され、ポーの一族の冒頭に出てくるギムナジウムの設定などを盗用したのではないかと責められたとのことでした。
ショックで何も言い返せなかった萩尾望都は、3日後に竹宮惠子から「あのことは忘れて」と言われた上に、「○○はしないで欲しい」という要求が色々書かれた手紙を渡されたそうです。
以降、萩尾望都は一切竹宮惠子の著書は読んでいないし、交流を絶ったまま50年経っているのに、竹宮惠子の方は「対談などは、萩尾望都さんがOKなら」というスタンスのため、今回エッセイを書くことにしたというのが…さすが作家ですね…
「今、Twitterでこの漫画や、萩尾望都に関心がある人ってどのくらいいるんだろう?」
と思って検索をしました。
ポーの一族の続編が出ているので、人気はあるはず。
でも「残酷な神が支配する」自体は、どんな人がどんな感想を抱いているんだろう?
そうしたら、萩尾望都が新刊で竹宮惠子やBLについて触れている、というツイートがたくさんでてきました。
どの人たちも「ゴールデンウィークに読もうと思って買った」と書いていて、チェックすると先月発売されたばかりのエッセイだと分かりました。
ツイートしている方々はリアルタイムで掲載誌を読んでいたようで、そのくらいの年代の方がこんなにTwitterを利用していることにもビックリ。
あまりに話題なので気になって、私も即買い、そして一気に読みました。
高いな…と思う値段だったけど…「残酷な神が支配する」でまた一層萩尾望都に関心が湧いたし、女版トキワ荘「大泉サロン」とか「花の24年組」と伝説のように語られている少女漫画の歴史にも関心があるし。
そして読み終わった今、Twitterで見かけた人たちのように、重いような、なんとも言えない気持ちになっています…
一度きりの大泉の話
アラフォーの私は、母が少女漫画雑誌をたくさん買う人だったので、萩尾望都の作品は掲載誌でいくつか読んできています。
竹宮惠子は当時、京都精華大学で教授を始めたことをエッセイ漫画にして連載していました。
その後、「マンガ好きとしては、キチンと過去の名作を知っておかないといけない」と思い、文庫版で「風と木の詩」も買いましたが、実はあまりピンと来ず…
風と木の詩 (1)
萩尾望都の作品は色々買ったり、図書館で借りて読んだりしました。
どちらも「ギムナジウム」に通う美少年が出てくるBLの先駆けを取り扱った人、という認識です。
お二人共SFを描いていたようだけど、私はイマイチSFには興味が無く、萩尾望都の人間関係を抉り取りながら詩的に描く作品は好き。
西炯子、よしながふみの作品には竹宮惠子のことが時々出てきていて、とにかく「ジルベール」が美少年の代表となっているのは知っていますが、正直「風と木の詩」のストーリー自体は曖昧にしか覚えていません。
ジルベールに全く共感出来ず、そして暗い終わり方だった記憶はあるのですが…
萩尾望都のことは、今市子がエッセイマンガで何度も取り上げていて、本当に神として心酔していると言っていました。
「一度きりの大泉の話」の中には色んな方々が出てきて、その中で私が知っているのは山岸凉子と花郁悠紀子でした。
花郁悠紀子は確か山岸凉子のエッセイコミックに出てきていて、波津彬子の姉であり、既に故人だと知ったくらいの知識なのですが…
波津彬子の連載は、ホラー漫画好きなので読んでいました。
当時の少女漫画家さん達は頻繁に交流をしていたんだなぁ、そう言えばよく漫画家さん同士が電話しながら原稿を描くシーンって見るよな、くらいの認識だった「花の24年組」。
大島弓子の名前も少し「一度きりの大泉の話」には出てきますが、私は大島弓子は社会人になってから、同期に借りて一気に読み、他の作品もいくつか買って読んでいたけど、萩尾望都や竹宮惠子とは別の引き出しに入れています。
その程度の知識しかなかった私は、竹宮惠子と萩尾望都が2年間同居し、それから50年間絶縁状態になっていることを知りませんでした。
今回萩尾望都がこの本を出した理由は、竹宮惠子が当時のことに触れた本を出し、以降各所から対談やドラマ化の話が舞い込んできて、その都度断りながらも当時を思い出して気持ちが暗くなるので、こうして出版をすることでもうそっとしておいて欲しい、ということなのだそうです。
なので萩尾望都の「一度きりの大泉の話」は、竹宮惠子の「少年の名はジルベール」とセットとして合わせて読んでいる方が多いみたい。
【電子版限定特典付】 少年の名はジルベール (小学館文庫)
私はまだこちらは読むか検討中です。
「一度きりの大泉の話」は、萩尾望都が漫画家デビューするまでの経緯、既に売れっ子だった竹宮惠子に誘われて同居をしたこと、当時その部屋に集まっていた仲間たちのこと、同居解消から盗作疑惑で絶縁したこと、昨今のマンガ業界について書かれていました。
この盗作疑惑のことを、私はリアタイ世代ではないので知りません。
当時「ポーの一族」と「風と木の詩」はどちらもギムナジウムが出てくるので、それで萩尾望都が設定を盗用したと言われたそうです。
この本の中で萩尾望都は何度も「私には少年愛の世界は理解できない」という旨が書かれていて、それに少し驚きました。
あれ?萩尾望都は「残酷な神が支配する」以外にも、「トーマの心臓」とか「ポーの一族」とか、やっぱりBL的なものを描いていたと思うのだけど…
そうなるキッカケとして、竹宮惠子とものすごく親しかった増山法恵さんの名前が何度も出てきました。
少年が大好きだという彼女は、BL的な内容の作品をたくさんオススメしてくれていたそうです。
2年間の同居は竹宮惠子側からの申し出で解消となり、その後萩尾望都は竹宮惠子と増山法恵の2人に呼び出され、ポーの一族の冒頭に出てくるギムナジウムの設定などを盗用したのではないかと責められたとのことでした。
ショックで何も言い返せなかった萩尾望都は、3日後に竹宮惠子から「あのことは忘れて」と言われた上に、「○○はしないで欲しい」という要求が色々書かれた手紙を渡されたそうです。
以降、萩尾望都は一切竹宮惠子の著書は読んでいないし、交流を絶ったまま50年経っているのに、竹宮惠子の方は「対談などは、萩尾望都さんがOKなら」というスタンスのため、今回エッセイを書くことにしたというのが…さすが作家ですね…
読んでいて感じたのは、萩尾望都は竹宮惠子の外見や頭脳や画力や人気等、表面的な部分は繰り返し褒めているけれど、でも双方の交流をほぼ書いていないし、やはり厳しい目で見ているんだな、ということです。
「私は誰からも負けたことがない」
「素敵でしょう?どうして私、こんなのが描けちゃうのかしら」
と自信に満ち溢れた発言をする竹宮惠子を眩しく思った、と書いてはいますが、そこを切り取るというところが…
自身のことは「私は親が厳しかったから自分に自信が無いし、どんくさいし…」と卑下し、盗作疑惑以降に体調を崩し、鬱状態になったことを書くのは、やはり彼女を恨んでいるように感じました。
竹宮惠子の本を読んだ人の感想を見る限りでは、当時は竹宮惠子は萩尾望都の才能を恐ろしく思っていたそうです。
本の後書きでマネージャーさん?が書かれていましたが、萩尾望都は目にした素敵なモノをそのまま漫画に描けてしまうため、竹宮惠子は自身のお気に入りのモノを見られるのが怖くなっていたとのこと。
当時まだ萩尾望都は人気のない漫画家だったようですが、でもどんどん人気が出ていく彼女が怖かったのも納得です。
自信のある人だったらなおさら、下に見ていた同居人が才能を開花させていくのには焦ったでしょうし。
また萩尾望都の中では、「竹宮惠子は増山さんと新しい少女漫画の時代を作ろうとしていた、それが『風と木の詩』だったのに、似たような設定の漫画を先に萩尾望都が描いたのは許せなかったのだろう」と今となっては思うと書いていましたが、これはどうなんでしょうか…
確かに後年の読者である私には、どちらもギムナジウムが出てくる美少年ものだなとは思うけど…

11月のギムナジウム (小学館文庫)
これらを読んだときには、私はもう高河ゆんとかCLAMPを読んでいたし、同人誌も出回っていて、BLジャンルはあって当たり前のものになってはいたんですよね。今ほどでは無いにしても。
ただ女同士の喧嘩、という目線で見ると、多分萩尾望都は
「竹宮惠子が直接1対1で言ってきたわけではなく、増山さんと2人がかりで呼び出しをしてきて、一方的に責めてきた」
というのが、本当にショックだったんだろうと思います。
どちらとも親しかった人たちは、その後もアシスタントとして交流を双方としていたそうですが、それでも竹宮惠子側が絶縁の理由を他の人達のせいにしたり、と色々揉めたりはあったみたい。
萩尾望都は直接はもう竹宮惠子と関わりを取らないようにしているのに、彼女が勝手に色々発言する、それに振り回されたくない、というのがとても伝わってきました。
何しろ、「少年の名はジルベール」を送られてくても開封もせず、マネージャーが読んだ後に送り返しているくらいですもの。
私は漫画家では無いし、才能も無いけど、でも50年絶っても水に流せない感情があるのは想像ができます。
周囲が和解を勧めるのも分かります。
もし今後やっぱり…と二人が対談をすることになったら、漫画界はめちゃくちゃ話題にすると思う。
それをキッパリと拒絶するための著書だけれども…
色んな人間関係の確執について描いてきている萩尾望都でも、だからこそなのか、表面的な和解を拒絶するのかなと思いました。
この辺はもしかしたら、九州の人だからかな~と、両親が九州人の私としては思います。
母の実家と萩尾望都の地元も近く、世代も近いので、何となく「あ~福岡の女性ってこうよね」と納得してしまう。
そういう型にはめられるのは、萩尾望都は嫌かもしれないけど。
「女より男のほうが偉い」という男尊女卑の中で、少年なら自由に描けると思った、というお話は印象的でした。
女性だと「女はこうしないといけない」があるけれど、少年なら何をしても良い。
コレは確かに、腐女子が生まれたキッカケの一つではあるんですよね。
男女の恋愛だと、付き合って、関係を持って、じゃあ結婚するんですか?遊びで傷物にしたんですか!?
みたいなことになってしまうけど、男同士の恋愛なら純粋に愛情だけ描ける、みたいなところもあるし、あとマイノリティへの憧れみたいなのもあるし。
私は竹宮惠子がどんな気持ちで「風と木の詩」を描いたのか、まだエッセイを読んでいないから知りません。
ただアウトプットされた作品としては、「風と木の詩」と「ポーの一族」や「トーマの心臓」は別物だと思うし、「残酷な神が支配する」も近いけれど違うと思う。
虐待的な部分とか、要素として被る部分は0じゃないですが。
竹宮惠子は「美」としての世界を追求しているし、萩尾望都は「精神」を追求している感じがするけどな。
絵柄も全然違うと思うのですが、でもリアタイ勢からすると、一時は2人の絵は似ていて、決別してから変わっていったそうです。
そして萩尾望都は後半で「今のBLジャンルを作ったのは竹宮惠子と増山さん」とキッパリと書いていました。
自身はその流れとは別の所にいる、という自覚があるのでしょう。
私も昨日書いた「残酷な神が支配する」のネタバレ感想には、BLではない、とタイトルに入れましたし。
私も今まで色んな友人と絶縁してきていて、このコロナ禍でまた疎遠になった2人がいて、毎日のように彼女たちのことを考えます。
こちらから謝ったら、話を持ちかけたら、関係は表面的には修復するのかな?
でもそうなっても、きっともう心から笑って話せないし、変に気を使って疲れてしまうだけな気がする。
ただ友人が減るのが寂しいから、という理由で再度交流を持とうとするのは、どうなんだろう??
きっとこの本の内容は、縁が切れた友人2人とは熱く語れると思う。
今、私の連絡が取れる人の中で、萩尾望都と竹宮惠子について語れる人は、母くらいしか思い当たりません。
漫画好きな人は何人かいるけど、この2人にそんなに興味が無いと思う人しか残っていなくて…
でもそういう話が出来る友人だからってことで、再度連絡を取るのって、なんだか違う気もする…
私のこの浅い迷い以上に、萩尾望都は悩んで苦しんで、でも仕事を楽しんで生きてきたんでしょうね。
それを分かって、何も言わずに友人関係を双方と続けた周囲の方、大人だなぁ。
あぁでも若い頃の私なら、何も本人たちに聞かずにただ見守るのって、「逃げ」だとも思ったかもしれないけど…
ゲスい気持ちとしては、この本を読んで竹宮惠子が何か公言するのか、はちょっと気になります。
そういうオファーもきっと行くでしょう。
そこで何も言わなければ、それが一番キレイな形だと思う。
どちらの漫画家が上か下か、とかでは語れないけど、読者は「どちらが好きか?」は語れる。
両方好きだった方は、この本を読んでショックを受けているみたいで、それはそれで「人間って難しい」という萩尾望都の言葉しか言えなくなりますが…
読んで良かったです。
そして改めて、この本の感想を誰かと話したいなぁ、と思い、寂しい気持ちになりました。
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「私は誰からも負けたことがない」
「素敵でしょう?どうして私、こんなのが描けちゃうのかしら」
と自信に満ち溢れた発言をする竹宮惠子を眩しく思った、と書いてはいますが、そこを切り取るというところが…
自身のことは「私は親が厳しかったから自分に自信が無いし、どんくさいし…」と卑下し、盗作疑惑以降に体調を崩し、鬱状態になったことを書くのは、やはり彼女を恨んでいるように感じました。
竹宮惠子の本を読んだ人の感想を見る限りでは、当時は竹宮惠子は萩尾望都の才能を恐ろしく思っていたそうです。
本の後書きでマネージャーさん?が書かれていましたが、萩尾望都は目にした素敵なモノをそのまま漫画に描けてしまうため、竹宮惠子は自身のお気に入りのモノを見られるのが怖くなっていたとのこと。
当時まだ萩尾望都は人気のない漫画家だったようですが、でもどんどん人気が出ていく彼女が怖かったのも納得です。
自信のある人だったらなおさら、下に見ていた同居人が才能を開花させていくのには焦ったでしょうし。
また萩尾望都の中では、「竹宮惠子は増山さんと新しい少女漫画の時代を作ろうとしていた、それが『風と木の詩』だったのに、似たような設定の漫画を先に萩尾望都が描いたのは許せなかったのだろう」と今となっては思うと書いていましたが、これはどうなんでしょうか…
確かに後年の読者である私には、どちらもギムナジウムが出てくる美少年ものだなとは思うけど…
11月のギムナジウム (小学館文庫)
これらを読んだときには、私はもう高河ゆんとかCLAMPを読んでいたし、同人誌も出回っていて、BLジャンルはあって当たり前のものになってはいたんですよね。今ほどでは無いにしても。
ただ女同士の喧嘩、という目線で見ると、多分萩尾望都は
「竹宮惠子が直接1対1で言ってきたわけではなく、増山さんと2人がかりで呼び出しをしてきて、一方的に責めてきた」
というのが、本当にショックだったんだろうと思います。
どちらとも親しかった人たちは、その後もアシスタントとして交流を双方としていたそうですが、それでも竹宮惠子側が絶縁の理由を他の人達のせいにしたり、と色々揉めたりはあったみたい。
萩尾望都は直接はもう竹宮惠子と関わりを取らないようにしているのに、彼女が勝手に色々発言する、それに振り回されたくない、というのがとても伝わってきました。
何しろ、「少年の名はジルベール」を送られてくても開封もせず、マネージャーが読んだ後に送り返しているくらいですもの。
私は漫画家では無いし、才能も無いけど、でも50年絶っても水に流せない感情があるのは想像ができます。
周囲が和解を勧めるのも分かります。
もし今後やっぱり…と二人が対談をすることになったら、漫画界はめちゃくちゃ話題にすると思う。
それをキッパリと拒絶するための著書だけれども…
色んな人間関係の確執について描いてきている萩尾望都でも、だからこそなのか、表面的な和解を拒絶するのかなと思いました。
この辺はもしかしたら、九州の人だからかな~と、両親が九州人の私としては思います。
母の実家と萩尾望都の地元も近く、世代も近いので、何となく「あ~福岡の女性ってこうよね」と納得してしまう。
そういう型にはめられるのは、萩尾望都は嫌かもしれないけど。
「女より男のほうが偉い」という男尊女卑の中で、少年なら自由に描けると思った、というお話は印象的でした。
女性だと「女はこうしないといけない」があるけれど、少年なら何をしても良い。
コレは確かに、腐女子が生まれたキッカケの一つではあるんですよね。
男女の恋愛だと、付き合って、関係を持って、じゃあ結婚するんですか?遊びで傷物にしたんですか!?
みたいなことになってしまうけど、男同士の恋愛なら純粋に愛情だけ描ける、みたいなところもあるし、あとマイノリティへの憧れみたいなのもあるし。
私は竹宮惠子がどんな気持ちで「風と木の詩」を描いたのか、まだエッセイを読んでいないから知りません。
ただアウトプットされた作品としては、「風と木の詩」と「ポーの一族」や「トーマの心臓」は別物だと思うし、「残酷な神が支配する」も近いけれど違うと思う。
虐待的な部分とか、要素として被る部分は0じゃないですが。
竹宮惠子は「美」としての世界を追求しているし、萩尾望都は「精神」を追求している感じがするけどな。
絵柄も全然違うと思うのですが、でもリアタイ勢からすると、一時は2人の絵は似ていて、決別してから変わっていったそうです。
そして萩尾望都は後半で「今のBLジャンルを作ったのは竹宮惠子と増山さん」とキッパリと書いていました。
自身はその流れとは別の所にいる、という自覚があるのでしょう。
私も昨日書いた「残酷な神が支配する」のネタバレ感想には、BLではない、とタイトルに入れましたし。
「残酷な神が支配する」ネタバレ感想~義父の性的虐待、義兄との恋愛BLマンガ、ではない名作
連載当時に雑誌で読んでいて、その後単行本で揃えていたけど引越しの時手放した、萩尾望都の名作「残酷な神が支配する」が、楽天KOBOで期間限定1~3巻無料になっていたため、ゴールデンウィークの初めにダウンロードしました。残酷な神が支配する(1)【期間限定 無料お試し版】【電子書籍】[ 萩尾望都 ]夜に読み始めたら止まらなくなり、そのまま一気に4~10巻を購入し、朝方までに読んでしまったけど… いやぁもう、本当にすごい...
私も今まで色んな友人と絶縁してきていて、このコロナ禍でまた疎遠になった2人がいて、毎日のように彼女たちのことを考えます。
こちらから謝ったら、話を持ちかけたら、関係は表面的には修復するのかな?
でもそうなっても、きっともう心から笑って話せないし、変に気を使って疲れてしまうだけな気がする。
ただ友人が減るのが寂しいから、という理由で再度交流を持とうとするのは、どうなんだろう??
きっとこの本の内容は、縁が切れた友人2人とは熱く語れると思う。
今、私の連絡が取れる人の中で、萩尾望都と竹宮惠子について語れる人は、母くらいしか思い当たりません。
漫画好きな人は何人かいるけど、この2人にそんなに興味が無いと思う人しか残っていなくて…
でもそういう話が出来る友人だからってことで、再度連絡を取るのって、なんだか違う気もする…
私のこの浅い迷い以上に、萩尾望都は悩んで苦しんで、でも仕事を楽しんで生きてきたんでしょうね。
それを分かって、何も言わずに友人関係を双方と続けた周囲の方、大人だなぁ。
あぁでも若い頃の私なら、何も本人たちに聞かずにただ見守るのって、「逃げ」だとも思ったかもしれないけど…
ゲスい気持ちとしては、この本を読んで竹宮惠子が何か公言するのか、はちょっと気になります。
そういうオファーもきっと行くでしょう。
そこで何も言わなければ、それが一番キレイな形だと思う。
どちらの漫画家が上か下か、とかでは語れないけど、読者は「どちらが好きか?」は語れる。
両方好きだった方は、この本を読んでショックを受けているみたいで、それはそれで「人間って難しい」という萩尾望都の言葉しか言えなくなりますが…
読んで良かったです。
そして改めて、この本の感想を誰かと話したいなぁ、と思い、寂しい気持ちになりました。
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