通勤途中では、よく保育園に向かう二人乗り自転車を見かけます。

先日横を、男の子を後ろに乗せた自転車が通り過ぎました。

そのとき男の子が手に持っていたリュックを落としてしまったのですが、お母さんは気付かずにそのまま行ってしまいました。

私は慌てて走ってリュックを拾い上げ
「落としましたよ」
と呼びかけたら、男の子に言われてお母さんも気付いて止まりました。


走って追いかけ、男の子にリュックを手渡すと、お母さんはちょっと人見知りのような無愛想な表情で

「すみません」

と言ったのですが、男の子は

「ありがとうございます!」

と元気に笑って言って受け取り、

「どういたしまして」

と言うと、その後もずっとこちらを見ながら

「バイバーイ!」

と手を振り続けてくれて、朝からその可愛い様子に嬉しくなりました。


しかし、直後に私の脳内には

「この良いことをした私を、好きな人が見ていてくれたら良いのに」

という考えが浮かび、そんな自分を恥ずかしいと思いました。

このことは、あまり自分から人に話すことじゃないな、とも思いました。

2人くらいには話しましたが…。


それから数日後に、公園の横を歩いていたら、サッカーボールが転がってきました。

私より若いお父さんが、小さな女の子と遊んでいて、そのボールが車道まで転がってきていました。

慌てて走ってボールを止め、お父さんの方に蹴ると

「ありがとうございました」

と笑顔で言われたので、会釈をしました。


この時も、最初はとても清々しい気持ちだったのですが

「良いことをした、と浮かれている自分はみっともない」

という感情が出てきて、ネガティヴな気持ちになりました。

これは、一体何故だろう?

考えると、「調子に乗ってはいけない」という言葉は、良いことが起こっている時に毎回のように脳内に浮かびます。


欧米人は良いことがあったとき

「これからもっと良いことがあるかも!」

と思い、日本人は

「こんな良いことがあったなら、次は悪いことが起こるかも」

と思う傾向がある、と何かのマンガで読んだことがあります。大島弓子だったかな?

日本人の中には、そういうネガティヴ思考で、良いことがあっても浮かれてはいけない、という価値観で育った人が多いかもしれません。
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しかし、良いことをしても清々しい気持ちになれない、むしろ自分を恥ずかしく思うのは、なんだか嫌だなぁと自分でも思います。

そういえば菅野彰さんがエッセイのネタ用に周囲の人に

「あなたがこれまでにした1番の悪業は何ですか?」

「あなたがこれまでにした1番の善行は何でしたか?」

と聞いたとき、悪業に関してはみんなスラスラとすごいことをやったと教えてくれたのに、善行に関してはほとんどの人が答えなかったそうです。


その理由は、多分人は善行をするとき

「よし!良いことをしてやろう」

と思うわけではなく、目の前に困っている人がいたから咄嗟にカラダが動いて助けてしまっただけだ、ということが多いからだろう、と書かれていて、なるほどなぁと思いました。

私も別に、良いことをしようと思って動いたワケではありません。

ただ、咄嗟にカラダが動いてはいなかったと思います。

「あ、助けた方がいいかな?いいよな?」
と一瞬考えました。


「一日一善」
と思って生きている人にとっては
「善行をすると気持ちがいい」
と思っているのでしょうか?

確か子供の頃にこの言葉を教えられたときは、そういう
「良いことをすると気持ちがいいから」
という理由だと言われた気がします。

でもそれって「親切な自分は良い人」と思っていそうで、気持ち悪くもあります。

善行をした自分を「ドヤッ」と思うのは、はしたない。

でも、そう思って、せっかく他人からお礼を言われたのに、喜ぶ自分を否定するのも疲れるなぁ。

とツラツラ考えてしまう自分は、自意識過剰だな、と思ってしまったのでした。
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