大学時代に授業を取っていた佐藤晃一先生が71歳で肺炎で亡くなったそうです。

大学入学前から、先生の作品は本で見ていました。

高崎であった展示会も行って、公演を聴いたこともありました。

先生は群馬県高崎市の県で1番頭の良い高校、高崎高校出身。

その後東京芸大に進学、資生堂宣伝部を経て1971年に独立。
'85年東京ADC最高賞、'91年毎日デザイン賞、'97年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。

作品は国内外の多数の美術館に所蔵されている、というグラフィックデザイン業界の人なら一度以上は作品を見たことがある方です。


佐藤晃一 ggg Books 13(スリージーブックス 世界のグラフィックデザインシリーズ13)


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公演で
「私は地図を作るとき、必ず道の比率は正確に合わせることにしています。

道の比率を適当に作る地図が世間にはありますが、この展示会のチラシの地図もきちんと比率を合わせ、実際に自分で歩いて確かめて作りました。」

とお話されていたのをよく覚えています。

デザイナーとして働き出した当初は、その言葉を念頭に置くようにしていました。

まぁ実際はクライアントの都合やスペースの問題で、正確に比率を合わせて地図を作るのは続けていけなかったんですが…


別のクラスの先生だったので、授業を受けたのは3年生の広告の授業で、「日本をテーマにポスターを作りなさい」というものでした。

確か半年で1枚のポスターを作る、という授業だった記憶があります。

最初、千代紙を使って絵柄を作ろうとしていたのですが、先生に

「おばさんの趣味の工作みたいな物にしないように」
と忠告を受け、別のアイデアに変えたのをよく覚えています。

その後も和柄や手芸っぽいモチーフを使うたびに

「おばさんの趣味の工作みたいにしないように」と先生の言葉を思い出しながら気を付け続けています。


Twitterを見ていたら、「グラフィックデザインをやっていくなら、編み物や刺繍は止めなさい」とアドバイスを受け、グラフィックデザインを止める決意をした、という過去がある人がつぶやいていました。

編み物や刺繍を使ったポスターは実際は有名な作品も色々あるけど、先生はそういうものより、独自の世界観を見極めて作品を作るということを大事にしていた方でした。
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大学時代の先生の訃報を聞くのは3度目です。

あまり横や縦の繋がりが無いため、ドラマで観るような、恩師のお葬式にみんなで行く、ということはありません。

多分1番お世話になった先生が亡くなっても、連絡はすぐには来ないと思われます。

多摩美の教授と言うと、今は世間的には佐野研二郎さんのイメージとか色々あると思うのですが、いわゆる一般的な学校の先生と違うんじゃないかな、と思います。

先生がお題を出し、生徒は自分なりにアイデアを出し、過程でチェックを受け、最後にみんなの前で作品を講評する、というもののため、一から何か指導を受けたり、基礎的な理論を教えてもらったりはしません。

「自分で良いと思うものを作りなさい。
それを評価します。」
という授業が、美大での教え方。

基本的な絵の描き方は、受験勉強でやってきているし、1、2年の授業でも一応やっているので、3年以降の授業はある意味ゆるゆるです。

でも、あんなに時間をかけて、「自分の好きな世界観、得意な表現、やりたいことは何か?」を考える時間があったのは、今思えば贅沢でした。


先生のような作品を作るグラフィックデザイナーは、今はもうほとんどいないと思います。

Macでレイアウトするのがグラフィックデザイナーの仕事って感じだし。

でも、自分の好きな世界を描くのって、すごく大変だったけど楽しかったなぁ。

そういう価値観を教えてくれた先生方には感謝しています。

佐藤晃一先生、ご冥福をお祈りいたします。

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