今朝の「あさが来た」に、前々から予告があった通り、大島優子演じる「平塚らいてう」が出てきましたね。

大島優子が睫毛も盛らず、薄化粧で出ていたのが好印象でした。

平塚らいてう(らいちょう)って、与謝野晶子と同じ引き出しに私の中では仕舞われていますが、よくよく考えるとうっすらとした記憶しかありません。


本名平塚 明(ひらつか はる)は、雑誌「青鞜」で『元始、女性は太陽であった』から始まる言葉を寄せた、というのは教科書に書かれていましたよね。

東京生まれで、お父さんは高級官吏、お母さんは徳川家御殿医の養女になった方というお嬢様。

あさがあんなに頑張って作った日本女子大学校も、日露戦争勃発後は国家主義的教育になっていってしまい、幻滅していたそうです。

その後二松学舎、女子英学塾、成美女子英語学校にも通うようになったというから、ずいぶんとお勉強が好きな方だったんですね。

成美女子英語学校の教師の知人と22歳のときに恋仲になり、心中未遂事件を起こしたことで新聞に顔出しで掲載されたこともあるとか。

それをきっかけに女性差別などの問題に取り組むようになっていったそうです。

ビールをたくさん呑んだり、自由恋愛を支持したり、「新しい女性」として活躍していたらいてう。

与謝野晶子が主人公のマンガを読んだことがありますが、そこにらいてうも出ていたな〜と思ったら、親しかったんですね。


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26歳のときに5歳下の男性と出会って事実婚になり、2児を設けたけれど私生児として育てたそうです。
但しその後長男は兵役前にお父さんの籍に入っているそうです。私生児で不利益にならないように、ということで。

ちょっとびっくりしたのが、その後あのいわさきちひろと一緒に「新日本婦人の会」を結成した人でもあるんですね。


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ちなみに若い彼氏を「燕(つばめ)」と呼ぶのは、らいてうが起源なんだそうです。

事実婚だった彼氏と別れる時に、相手からきた手紙に「静かな水鳥たちが仲良く遊んでいるところへ一羽のツバメが飛んできて平和を乱してしまった。若いツバメは池の平和のために飛び去っていく」と書かれていたのを、らいてうが青鞜に発表したのが流行したんだとか。

ってことは子供たちのお父さんは途中でいなくなってしまったんですね…


女性解放で有名な女性たちって、じゃあ「男なんて!」とバリバリツンケンしていたかと思いきや、結構自由奔放に恋多き女だったって方が多いですよね。

岡本かの子も結婚して息子の岡本太郎を産んでるし。

今も男尊女卑や性差別はバリバリにあるけれど、

フェミニズムな女=男に相手にされないヒステリックな女
って印象を持っている人が現代は多そうな気がします。

いつそうなってしまったんでしょ?


孫の築添正生(ちくぞえ・まさみ)さんは晩年のらいてうのことを「いまそかりし昔」という本に書いています。(絶版)
正生さんの妹の炎 美可(ほのお みか)さんは裸で踊るダンサーだった時期があるとか。

とこうして調べてみると、平塚らいてうは女性解放のための雑誌を作った人、ということでしょうか?
女性が思想を書くこと自体が目新しい時代で、世間の批判とか評価に晒されながら活動された方なんですね。

…でももっと昔の紫式部や和泉式部は文章を書いて活躍していたのに、いつの間に女性が思想を書けなくなってたんだろ?日本の歴史ってまだまだよくわかりません。

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