都内在住40代独身女性ならではの、オタ活&仕事のストレス&アンチエイジングのことなど

3月11日は鎮魂のためだけの日じゃないのでは?

今Yahoo!ニュースに出ている記事にビックリしました。

埼玉県吉川市の中学生の給食で、3月11日に卒業祝いメニューを出そうとしたら、

「震災のあった日に不謹慎だ!」

と一部で反対の声が上がっているそうです。

3月11日に卒業祝い給食で賛否

震災を忘れないのと、震災に囚われるのは別のことだと思います。

これは戦争に関しても、現在は近い状況な気がします。

3月になると、テレビやネットニュースで震災の話が流れ、8月になると戦争の話が流れ。

●ドイツ人はまだ戦争の反省をしているらしい

で書いたドイツのように、悪いことをした自分たちの国のことを忘れないのは大事だと思うのですが、

震災に関しては、自然災害であって反省とは違うと思う。

堤防とか原発とかは反省に繋がりますが、子供に卒業祝いの給食を出さないような日にするのはなぁ。

言っているのは一部の、少数の人だと思いますし、そういう人がいることをあえてニュースにすることで、

そんなに震災に囚われるのはどうだろう?

と投げかけているのかもしれませんが、こういう価値観の違いは難しいですね。
本当に本音を書くと、確かにあの地震は私の中でトラウマになりましたが、身近な人を亡くしていないため、震災のニュースを観ていても

「私はこの5年何をしてきたかな?
私が生きていることに意味はあるのかな?」

と自分自身の人生について考えて暗くなります。

幸せに暮らしていた人が自然災害で亡くなってしまったことは、大変お気の毒で悲しいことだと思います。

けれど「その人達の分まで頑張ろう」とは思えません。

結婚間近で亡くなった方の話を聞いても
「じゃあその人の代わりに私が犠牲になっても良かったのになぁ」と思ってしまいます。


震災の話を聞き続ける度に、そういう気持ちになってしまうというのは、私がものすごく自己本位の人間だからだと思います。

けれどそれを意思によって変えることはできません。

私が幸せな結婚をして子供を持って、そのとき初めて

「この家庭が自然災害で壊されるなんて嫌だ」

と心から思えるようになると思います。

この感情と「震災を忘れてはならない」というのは別問題です。

それでも、私自身は今テレビやネットニュースで震災の話を目にする度に、自分の感情で暗くなります。

「絆」なんて結局生まれなかったし、震災後の結婚ブームにも乗れてないし。

こう思う私を「間違っている」と思う方もいると思うのですが、それは他人が口出しをすべきことではないのではないか?とも思います。

ちょっと給食の話とはずれてしまったのですが、ただあれからずっと、海を見るたびに津波を思い出し、野菜を見るたびに原発を思い出しているのは、私だけではないと思います。

そうやって日々暮らしていて、あの震災についてはずっと忘れていないのに

「忘れるな!忘れるな!」

とお説教のように言われて囚われていくのは、もし私が被災者であったならば、望まない感情じゃないかなぁと思います。

「同じような悲劇を繰り返さないために、素早く避難する経路を確保すること、日々を大切に悔いなく生きること」

それを忘れないようにする日であって欲しいと、私個人としては思ってしまっています。

もし不快になられた方がいたら、すみません。

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